旗本てんつくのブログ

いろいろメモ書き的ななにかです。ブログとかよくわからないので、無作法あったらすいません。

オトナプリキュア第一話感想考察?


オトナプリキュア1話です。なかなか好調な滑り出しのようですが

オトナプリキュアと題して製作者がどういうお話を作ろうが自由ですよ

オトナがプリキュアに変身して敵をボコるような話にしてもぜんぜんおっけーですし、俺はむしろ大歓迎なわけですが

お話というのはルール作りみたいなもので、自分(製作者)が作ったルールを無意味に違反してはいけません。それをやっちゃうとお話がとたんにシラケてしまう。

というわけで、オトナはプリキュアにはなれないんです

 

というわけで、かなり厳しい話となることが予想されてるわけですが

一般的には大人として厳しい現実に直面して、という描写が心配がされているものの。まあそういうのもはあるんでしょうが、

社会が厳しいというのは普通に現実ですし、5勢はみなさん普通に夢をかなえられているようです。よかったよかった。なのでそこまで現実サイドで鬱展開を持ち込む必要もないのかと。

むしろこれがプリキュアである、ということがきびしいんじゃないかと思っています。

なんせ今回の敵も完全にファンタジーです。こうなると変身できない現実を抱えた大人には太刀打ちできません。

なので、オトナが現実サイドで問題を解決すると、ファンタジーである敵にダメージが入る的なルールでもつくるのかなと思っていたのですが、

2話の予告ではさっそく敵との邂逅があるようで、どうやらそうではないらしい。

 

敵と出会ってさあ大変。どうやって敵に対抗しましょうかってことですが

別にお話なんだからオトナが不思議な力を使ってはいけないということではないんです。というか敵がファンタジーでチートですしこっちもチートを使わないと対抗できない。でも、ルールをやぶることはNG

のぞみさんが闇的な空間でナニカと出会って、重大な決意をするようで、なのでサブタイトルがケツイノカタチ

たぶんね、普通に出てくるんですわ、キュアドリーム

え、だってOP、EDでばんばん出てきてるやんプリキュア5。出てこなかったらむしろ詐欺ですよ? そんで出てくる彼女たちはオトナではない。

 

オトナプリキュアといいつつ、コドモのプリキュアに戦わせるんですね。

オトナの中のコドモのココロに戦わせるというか

子供の姿に変身するのか、召喚とかスタンドみたいのかしらんですが

絵面は前者、意図は後者のほうが判りやすいか

そうなると、大人が子供のころ抱いていた夢見る力を振り絞って絶望に立ち向かう、みたいな話やね

 

そんで大人がそんなキセキノチカラをタダで使えるわけもなく、無理はしてんねん。

大人社会で子供っぽい我を張るみたいな。明らかに消耗する。すり減る

のぞみセンセが1話でやってたことがまさにそれですな

オトナはコドモと違って奇跡の代償が必要なのです。

 

EDでみなさん時計的なものを受け取っていたじゃないですか

あれが新しい変身アイテムというわけでもないでしょうし

時計は時間の象徴ですが、時間そのものではなく、時を刻むものですね。

オトナの中のコドモの時間、コドモの気持ち。そういうのをすり減らして戦って

無限ではない時間をすりつぶした時、もう2度とプリキュアにはなれなくなる。

それでも、戦わなければなんともできないし、戦って前へ進んでこれたことを誇れるか

みたいな話になるんちゃうかなと思います。

過剰防衛とアレのハナシ。

 
なんだか過剰防衛なんて単語がトレンドなので見に行ったら
尼崎で夜中にピンポンおされてナイフで切りつけた例の事件が話題になっていたようで
「過剰防衛なら判る、なんで殺人未遂なんだ」
ってな書き込みが注目されていた。
賛同するツイート、同様の発言をするツイートも多く、
せやせやその通りやといった感じである。
 
「過剰防衛ならわかるー」という発言を聞いて正直おもったことは
え?なにが判るん? いやわからん。え?なに判ってんねん???
なにを判ってしまわれているのか判らん???である。
 
多分、根本的な誤解があると思われる
リポストなどを見ると、ちゃんとわかっている人ももちろんいるのだが
それでも、え?何言ってんだ?てきな書き込みもよくみられる。
 
いまさら言うまでもないと思っているのだが、過剰防衛ってのは罪状でも容疑でもないので、殺人未遂とはバーターにはならんのです。
過剰防衛容疑で逮捕とかってのはないですし、聞いたこともないです。当たり前ですね。それともそれを判るといった人は、聞いたことがあるのでしょうか?不思議な体験ですね。
 
警察は殺人未遂で逮捕するので、過剰防衛というか、防衛の意図を主張するなら、裁判において、防衛目的であったと主張しなさい。という話になる。
防衛の意図が正当なものと認められれば、正当防衛で無罪であるし、行為が防衛の目的を越え過剰なものだと判断されれば、過剰防衛となり、それでも防衛目的であることが認められれば減刑の理由になるだろう。そういう話なわけですよ。
 
それでも、警察が殺人未遂で再逮捕したという報道をみると、それ自体は多少、違和感は覚えるのです。
これまでの報道をひっかいてみるなら、普通は「傷害」だと思いますよね、で、警察が殺人未遂でってなると、ちょっと「あれ?」とは思うわけよ、普通は。
 
でも、殺人未遂で再逮捕したということは、それで立件できるとおもてるということ
殺人未遂と傷害の違いは殺意の有無なわけですよ。
てことは、警察は殺意を立証できるとおもてるということになるわけで
そう判断する根拠がある。というわけです
 
例えば、「殺そうと思ってナイフを用意した」と自供したとか
事件の際に大声で「てめぇ!ぶっころしてやる!!」と喚いていたという近隣の証言を得たとか
上記は想像の一つ、あくまで例えばということで、傷害の程度、行為や準備によって殺意ありとみなす場合もあるので、警察がどういう根拠で殺意を断定してるかはしりませんよそんなもの。
ただ、そういう証拠になるものがなければ、警察は殺人未遂では逮捕しません。
また、そいった殺意に関しては、これまでの報道にはのってないことなわけで「あれ?」とは思うのですが
のってないからといって、無いというわけではないですね。
報道だって限られた条件で視聴者、読者に物事を伝えるものなので、もともと乗っていることが判っていること全部というわけではないのです。
 
当たり前です
このへんの話までは当たり前で常識的なこと思っているのだが
この件のコメントを見るとどうもそうでもないよう。調べればわかることでもあきらかな勘違いで発言していたりなので、世間様が怖い。わりと。
 

警察というのは刑事事件のプロで、捜査権を持ち、調べるのがそもそもお仕事です

聞き取り調査や取り調べだってしてるわけだから、なんだかんだ情報の精度は警察が一番です
 
警察が殺人未遂で逮捕したということは、警察目線では
「真夜中にチャイムを鳴らされた。怖かったので自衛のためにナイフを持ってドアを開けた」ではなく
「真夜中にチャイムを鳴らされた。頭にきたので殺そうと思いナイフを持ってドアを開けた」ってことです。
なんだか一部界隈はアップデートという言葉が嫌味みたいに流行ってるみたいですが
えー、警察情報が更新されたわけですからせっせと認識をアップデートしてください
それがホントかどうか、違うのであれば裁判で争われる部分であり、他の誰かが決めていいようなことではないです。
 
上記のハナシはじっさいのとこ多少僕の推測が混じっているわけですが
それも警察が再逮捕したという報道を根拠に推察しているわけすよ。だいたいこのくらいまでは言ってもええやろ的な
それでも上澄みひっかいているだけですし、情報の精度しだいでは違っていることはあるので、なかなかいらんことは発言したいとも思わないわけなのですが
 
世の中、そもそもが断片的な情報しか持たず、法律の認識すらあいまいな人がおおぜいいらっしゃるようなのに、それでいて
警察はおかしい、まちがっている。そういうことを大声で喚く人らがいらっしゃるのです。
いやなんでよ。なにを言ってるのかわからない。なにを判ると言っているのだろう
根拠をたどると、自分がそう思うから、である。自分が正しい、自分はまちがっていない、自分がそう思うから自分が正しいんだもんときたもんだ
 
なんだろうかねえ、自分の知っていることが世界の全部
自分の考えが世界の真理だとでも思っているのかしら
しかもかなり上から目線で、もう神様かなんかかと
キモチワルイ
 
ニンゲン、知っていると思ってしまうと、意識が変わらないんですよね
知らないと思うから、知ることができる。
判る、知ってるなんて思っちゃうとアップデート(なんだそりゃ)できないんですよね
そういうものです。

ヒモ水着とあれのお話

韓国DJがなんやかんやである。

まあ本編は皆様大きなお声の方々が一生懸命はなしているし

なんか今回の件に触れるとなんやかんやらしいのでわりとどうでもよかったりする

のであるが気になっているのは水着の件である。

曰く、宇崎ちゃんや戸錠さんが性的だと言っていたのに紐水着にはなにも言わないのは矛盾している。とかなんとか。

いや別に矛盾していないだろう?

 

そもそも宇崎、戸錠の時の非難は図案やキャラクターの衣装が

「公共性の高い団体が使うのにはふさわしくない」だったわけで、

あのヒモ水着の動画は別に公共性の高い団体が使用するわけではないだろう。いやしらんけど。ないよね?

DJなんとかさんが警察とタイアップし、あの水着でポスターや交通安全の動画に起用され、これに異を唱えない。または唱えたものに反論する、としたらこれは確かに矛盾だと思う。

営業であれ、プライベートであれ、どれだけいかがわしい恰好をしていてもかまわない。でも、公共性の高い場所ではよりフォーマルに適した格好をしてくださいよと

この際どの程度フォーマルであるべきかはおいておいて、宇崎がダメでヒモ水着がいいという話自体は、TPOを考えろということなので別に矛盾はしていない。はずなのだが

戸定のへそ出しがダメな場所ではヒモ水着も当然ダメなのである。

それがいわゆるTPOを考慮ということだし、意見としてはまっとうなお話。あたりまえである。そういう話であれば、賛同できるかはともかく矛盾はないと思うし、理解もできる。

 

ところが、なぜか矛盾していない、と主張する側が、女性のシュタイガーなどと言い出してこの当たり前の理屈をかたくなに持ち出さない。なんでやねん。

わざわざTPOなどという単語まで持ち出して、いやほんと、なんでなんだよ?

 

理由をいくつも考えてみるが、いずれも解せない。

行き当たりばったり。結局、目の前のものに文句をつけたいだけで、理由はどうでもいいとか。

宇崎、戸錠に文句を言いたかっただけでホントのとこ公共性、なんてのはなにも考えていなく、なぜ文句をつけたかを忘れている。

うーん。

あるいは、DJなんとかさんのヒモ水着を、ぜがひでもエロいとは認めたくないとか

ヒモ水着を着たDJなんとかさんを公共の場でコラボさせたいとたくらんでいるとか

ともかく、宇崎、戸定はダメでDJなんとかはおk

いや、そんなん勝手な個人の物差しやん 

 

フェミさんも一枚岩ではないし、そうである必要もない。

今発言している人らは、結局、気に入らないものに文句をつけているだけで、あまり合理的には考えていないのだろうし、大意としては、公的云々はどうでもよく、宇崎はダメで、DJはいいというだけのわがままな主張。それがまかり通るのはよくないよなあ

でも、たぶん、筋を通す人らがいないわけではない。

宇崎、戸定を「公的役割を持つ機関が扱うにふさわしくない」と、バス会社や赤十字に直接クレームをいれた連中である。

彼らこそ矛盾していないと主張するべきなのであるが、実際のところ沈黙している。

まあ、直接関係ないことだし、沈黙するだろう。

矛盾していないことを主張するのは簡単なのだが、それをやると、いくつか突っ込みどころがでてくる

例えば、ひも水着が公器が使用するにふさわしくないくらいエロいということや(当たり前なんだが)DJさんだろうがなんだろうが、衣裳や構図によってはふさわしくないと言えるとか(当たり前だな)認めざるを得なくなってくる

認めればいいようなもんだが、連中も人気商売をしているようなもんなので、いまある意見の潮流にはそぐわないことは、言わないし、言えない。あの人らにとっては、沈黙は金なのである。

あるいは、在野のフェミさんがそういう発言をしてくれるかと期待しているのかもしればいが、困ったことにそういう発言もでませんね。

彼らにとっては、なぜ、宇崎、戸定がダメといったかということはもはやどうでもいいことで

いいか悪いか、エロいかエロくないかの単純な二極論、更には、正しいとか正しくないとか、勝ちとか負けとか上か下かくらいにしか興味がなく、

双方の意見を聞いて検証、検討をして、などということはやらないでしょうな…

結果、このグダグダである。

 

今回は、傍から見ればいかに彼らが身勝手な意見を振り回す存在か

そういうのを笑ってみてるだけの例になってしまいましたね。

でも、どうだろうねえ。すでにカルト化しているようなので、自分たちがどれだけおかしなことを言ってるかなんてのは、たぶん絶対にわからないようになっているんじゃないでしょうか

おもしろいのはいいですが、事態の好転にはつながらないのは残念ですな。

界隈が炎上とか沈黙は金とかのはなし。

絵師界隈が炎上しているそうです。

そうなのか?まあぼくは絵師界隈というものがよくわかりませんが

はたからみててよくわからないのが、割と多くの人がなんで炎上しているのかわからないのに炎上しているらしい。まあな、うん。そんなこった。

 

何日か前はプリキュア界隈も炎上していたそうだ。

僕はまあうん。一応、プリキュア界隈といえなくもない。どうやろしらんけど

こっちのほうの炎上の原因は明白なのです。例によってざっくりとですのですが、経緯は何となく把握はできる。

着ぐるみの人が問題行動をとったので、公式に対応された。という話である。

着ぐるみの人の目的がなんであれ、著作権を管理する公式には、言う権利があるんですよね。グリーディング活動(営業活動)と称しプリキュアの商標を利用して活動しているし

一方で、女児の親目線でいえば、公式と間違われるような着ぐるみを着たおっさんが怪しげな活動をしているのが怖いというのはよく判る。

だが、ことの流れ自体には正直首をかしげる部分が多い。

 

例えば、これがコミケであれば実は問題はない。

その場にいあわせた女児が仮装したプリキュアに抱き着いたところで、むしろ保護者がわきまえろという話だ。

あそこのコスプレ会場は、いってしまえばニセモノがいる場所だからだ。

公式の声明にも「公式作品と誤認されるような」という表現がわざわざそえられている。コスプレ会場にはニセモノがいて当たり前なんですよ。どれだけデキがよくてもね

今回の件では、一般の公園で本物であるかのようなふるまいを行ったので、公式が口を挟んだわけです。

 

また、彼の行為が性的な犯罪、またはそれに類する行為に該当するかといえば

正直ムツカシイ。つきまといのような話もでてるんだが、そっちも犯罪の要件をみたすかどうか。

そもそも、彼の目的が女児との接触であったのかもよくわからない。普段から女装癖があったという話なので、着ぐるみによる営業活動とやらもその延長線だったかもしれないからだ。

とはいえ、繰り返すが、親目線で、彼の行為は怖いというのもよくわかる。

でまあ、これに対し、一番スマートで有効な対抗手段が

公式が注意すること、だったわけですよ。そらそうだ。性犯罪でなくても商標や著作権を理由に彼に「やめろ」ということができる。今後問題行動を続けるなら法的措置だってとれます。女児とその親は公式にとって顧客であり、顧客らへの迷惑行為は看過するべきではない。

というわけで、今回、公式さんは実に迅速で的確で正確な対応をしました。

というわけで、この問題は。おかしな人が問題行動をおこし、公式に注意された。という話でしかなく

公式が注意喚起した時点で、この一件、実は解決しているんですね。

 

ところが、TwitterだかXだかでは、解決してから炎上するんですよ、これ。

公式が注意した!これはゆゆしきことだ!!とか思うんでしょうか

言わなきゃなんか言わなきゃとでも思うのでしょうか、

問題の解決になんの役にもたたんような人ほど問題を大きく見せたがる。なんだか上から目線でけしからんけしからん。

プリキュアはクソ、プリキュア界隈はクソ。プリキュア見てる大人は性犯罪者まで言いたい放題である。

まあしょうがない、Twitterなんてのはそんな場所だ。

そしてそれを受けて、プリキュア界隈さんが反撃とばかり発言する。

言わなきゃ、なんか言わなきゃ。である。

いやあ、なにごとも問題の解決にミジンコ程も役にたたないような発言はせんほうがいいですよ?

で、その結果「プリキュア界隈」なんて言葉がトレンド入り、

すでに解決した問題が炎上なのです。

まるで実態のないゴースト炎上とでもいうべき現象だなあと思ってたのですが

 

今回の絵師界隈が炎上はその辺が顕著です。

誰もがなにが原因なのか知らず、ただ炎上しているという

上の原因となる複数の極小の問題があってということらしいが、そのいずれもが結局個人の問題にいきつくような。

 

なんで炎上すんの?それってそんな問題なの?

と思うようなことはこれまでもちょこちょこあります。Twitterの悪癖といえるだろう。炎上はネットの華ともいえるので、まあ多少はしょうがないのかね

とは言え、なぜかここ数か月で増えてる感じがしてる

気のせいか、一時的なものだといいんだけれど

個々の問題はたいていはどうでもいいことですので、ほおっておけばいいのデス。

なにか言うにせよ、そもそもがなにが問題なのかそれなりに調べるのに、それなりに労力を使います。

判らないことは言わない。知らないことは判断しない

調べて知っても、実は間違っていること、なんてのもあるんでね。

立ち位置が違えば、見方も変わる。そういうデリケートな話題の場合、言わないことが正解は多いのです

あと、他人が同じ意見を言っている場合、わざわざ重ねてお気持ち表明なんてしなくていいのです。少なくともそういうことができる層が一定割いないと意見が無駄に一方向にひっぱられてしょうがない。

かつての2ちゃんねるにおける「半年ROMれ」。沈黙が正解であることを教える文化はTwitterにはない。

すすきののアレの話

例の首切りの話がわりと話題となってたりもするようなのですが

実はさして興味はない。
 
なんだかレズだかホモだかという話がでてきて、めんどくさいことこの上もないのでできれば遠くでやっていてほしいなあと思っているのですが
なんだか、加害者に共感する声が多いというはなし。具体的には数万人?
うん、よくわからない。
共感するということは、理解し同調しているということなわけですよ
理解。いやこんなわけわからない事件を理解できるのかと。というか理解したくもないのデスよ
他人が理解していることが理解できないのはなんだか悔しいので
通りいっぺん、表面的なことだけひっかいて考えてみることにした。
といっても、いちいちメディアに公開された情報を紐づけるのはきわめてめんどくさいので、なんとなく話に聞いただけの情報を転がして考えてみる。ので、まあ適当なのだが
共感している方々も、そこまでじっくりと見ていないとは思うので、その程度のものということで。まあ、ごちゃごちゃこねくり回すどうでもいい話である。
 
この事件はそもそもよくわからない事件だ。
一番わからないのは、センセーショナルに語られる報じられた首切りである
加害者は首を切って自宅へ持ち帰っている。なんでそんなことをしたのか
共感者は当然、正解が「判る」わけだ。
不可解な行為、ここの解釈が違えば、犯人の動機への意味づけが変わる。
現在報じられている理由付けでは、物理的な理由。死体の身元をわからなくするためとのことだが
時間と手間をかけて、頭部を切断するリスクを考えれば、どう考えても合理的ではない。隠蔽にしてもせいぜいが時間稼ぎにしかならない上に、遺棄せず自宅に持ち込むのはどう考えてもばかげている。
そうなると、この事件も首切りも、単にバカの起こした意味のないばかげた行為ということになるが、そうなるとこまったことに共感には価しないことにもなる
他に切断と持ち帰りの物理的な必要性が出てこないので、ここでは理解して共感している彼らの考えを理解するのが目的なので、その動機は心理的な理由と仮定したい。
 
つまり、首を切って持ち去ったのは、本人がそうしたかったから、またはそれが目的だったからまでありえるということ。
じゃあなんでそうしたかったのかってことだが
 
隠蔽目的でなく死体を損壊する場合は、憎悪によるというものが自然ではある。
憎かったから頭部を切ったという話である。
被害者は加害者とトラブルを抱えていたので、まあ憎かったというのはあるのだろうなとは思う。
もっとも死体をなんやかんやしたいとして、頭部の切断になるのは不自然ではあるが、犯罪者の個性というならしょうがない。
が、その場合、遺棄しない理由にはならない。
憎い相手を死んでも痛めつけてやることが目的なら、持ち去ること、持ち帰ることの意味がわからないのだ。
ということは、アレですわ、記念トロフィー?
要するに、記念品である。相手を下して勝ったという自分へのご褒美。勝者の誇らしい戦勝品としての価値、実際、捜査が入った浴室にその戦利品は鎮座してたそうだし。
 
相手を殺し、確かに首をとったという証拠である。
首狩りは、東西問わず様々な民族の風習に存在するし、人間の本能的欲求といえよう。
とはいえ、欲求としてストレート過ぎる気もするが、意外とこれが今回の事件のあてはまるところには当てはまるきもする。
というか、そういう解釈を組み込まないと、そもそも自宅に持ち帰るという行動に理由がつかないのだ。
 
さて、この場合、行動のバイアスにどういう変化があるかと言えば
首を切ったのは勝者であることの証明なのである。
この殺人者は自分が勝者であることにこだわる。勝ち組といったほうが判りやすいのか
加害者は被害者にレイプされたという話がでているが、それが正確な情報なのかはしらないが、このへんも辻褄は合いそうな気もする。要するに、加害者は被害者の行為によって被害者から格下、負け組であるとみなされたという背景があって、それが不満だったわけだ。
それを打破すべく相手を殺して勝者になった、ざまあみろ。という極めてシンプルな話になる
他人に勝ちたい、相手より上位にいたいという願望。
 
で、もう一つ、この事件で奇妙な点としてあげられていることがら、家族の協力である。
これも上記の背景を仮定すれば、案外、シンプルに解決する。要するに家庭内で加害者が一番上位の存在なのだ。
どういうわけだが、他の家族は娘に逆らえない。そのありていが支配的な女王様なのか、わがままなお姫様なのかはしらないが、ともかく家族が娘に逆らえず、娘が家族を支配する家庭内強者であるなら、この事件の構造は意外とシンプルになる。
現実的にそれがどういう意味合いになるかはしらんが
 
また、この場合、共感するとした人たちが、なにに共感したのかもわかりやすい。
要するに、他人を見下す勝者になりたいという願望があり、それを実践した加害者を勝者として共感しているのだ。
それが数万人。
そのひとたちがこういう背景を想定しているのかはしらないけれど
想定していないと共感なんてできないだろとも思う。
でもだとしたら、例によって世の中って怖いんだなあと思わざるを得ないが
世の中は実際に怖いのでそうなのかもしれないと思う。
強者になりたい、他人を見下したいという願望は、共感者の中に多くある感じもするので、まあ、そういうこともあるのかもしれないね、と思うしだいです。

あれとかあれへのクレームいれるあの人らの話

例によって、推敲の余地のある書き散らし。
なんだかまとまらないが、タイミングがこのへんかなと思うので公開雑記
 
見て不快というならそもそもが
人間、一つの価値感や感性だけで生きているわけではないので
機嫌のよろしくない時など、目に映るもの全てが不快だとおもってしまう。
目からビームが出せるのなら、そのすべてを焼き尽くし、あたり一面を焼野原にしてしまえばどれだけすがすがしいことだろう。
 
というわけで、ワタクシの精神衛生上の都合だけを申し上げると
世界はすべてインディゴブルーの空と地平線まで見渡せる荒野。あるいは白いホリゾンの風景で視界が埋め尽くされるべきなのである。
いつだったか見た3Dで表現された都市モデルのテクスチャーを白に置き換えられた映像。その街並みのなんと美しかったことか。ああいうのが理想かもしれない
条例ですべての建造物と道路、施設の外観を白にすると決めてくれないものだろうか
 
とはいえ、広告だの建築だのも一応、興味やまあ仕事の対象だったりするので、雑多できらびやかで刺激的な現在ある街並みも理解できないわけでもない。
そういういらだちは常にどこかにあるにせよ、オトナで社会人なのでそれでも表面上はニコニコしておるわけです。普通で当たり前ですね
そうやって世の中と折り合いをつけて、だましだまし生きているわけなのでございますよと。
 
さて、広告などに女性キャラクターを起用するたび、性的だ不快だとおっしゃっている方々がいらっしゃるわけなのです
では、その対偶を考えると
例えば、男性の半裸、もしくは半裸の絵。そういうものもありやすよな
でまあ、そういうものに不快感を感じる毒男ってのはいるっちゃいるのデスよ?
まあ当然ですわね。僕なぞはあらゆるものが目に入るのが不快なわけなので当然その一部に含まれるわけなのですが
でまあ、その理由を突き詰めてしまえば、結局、理由は嫉妬だとあっさり認めてしまうので素直でかわいいよな
 
不快だと思うのはしょうがないのデス。生理的なものなのですから
でも、不快だからやめろとか、よくないとか環境型セクハラだとは言いません別に
まあ、そういうのも社会には必要だと、そこはうまく折り合いをつけているわけです。我々は「社会的」な生き物ですから。
俗にいうお互い様です。世の中自分の好きなものや都合のいいものだけではできていません
そうあるべきでもありません。なのでお互いに譲り合って妥協してということですわ
 
さて、一方で公の場での広告等の掲示について、
制限はもともと法律や条例などで定められています。
それに準ずるならエロ広告の制限は「公序良俗に反する」という実にふわっとした基準になるのですが、または撤去理由については「煽情的である」という言葉がよく使われる。
実際に、これを理由にクレームが来た場合、協議の上、取り下げられると。
以前秋葉原で巨大な掲示物がこの理由で撤去された時には
とりたてて誰も文句は言わなかったわけですな、あの時はいささかやりすぎなので「撤去されて当然」という意見が多かったわけで
なんとなく不文律でボーダーが決められてはいるのです。要するに過激表現は程度の問題だというわけだ。
この「程度」については、いろいろな要素がからむ
例えば撤去された広告と、同じ図版が店頭広告として掲げらえていてもおそらく問題にされないだろう
要するに、図版そのものではなく、どれくらい目立つのか、つまり公共にあたえる影響が絡んでおり、こっからダメとか、ここまでならいいとかは一概には言えず、まあざっくりとした判断で現場は動いていて、それが「一般的な基準」になっているのだ。
 
でまあ、一部の人はそういう「一般基準」を無視し
なぜか宇崎ちゃんとか戸定梨香さんに絡んでくるわけですよ。
それは一般的な「公序良俗に反する」ではなく根拠が利己的な価値観がもとにすぎないのだからうまくいかないし、理解もされない。
なにやら環境型セクハラとかいって新しい権利を主張しているようでして、「嫉妬」ではないらしいのだそうだが本当かどうかはしらん
難しい言葉をつかえばごまかせるものではなく、単に、一般的な感覚を無視してクレームをつけるので、炎上するのである。
 
このへん、クレームをつける側は実にこす狡く、ここまで説明したことも当然、わかっててやっているんだと思う。クレームをつけるにせよ「公序良俗に反する」とはなかなか言わないわけっすよね
それでいて、公の機関、または公共性の高いと思われる組織にクレームを入れて「ふさわしくない」という言い回しをしてくる。
要するに、公は自分たちの価値観を支持しろ、とやってくるわけですね。
 
ていうかねえ、ガキじゃねえんだからエロ耐性なんて獲得しとけよと
乙女ゲー系のホモホモしいイラストがは実際に自分にとっては不快なわけだが、同時に眉一つしかめずにかっこいいだのエロいだの、もうちょっとおもいきり肌だししたほうがかっこいいんじゃね?などと、評することもするし、かけといわれればかいたりするのもやぶさかではない。嫌悪感とは別に耐性を獲得しているからだ。
 
子供のころはお化けとかゾンビとか、とにかく怖いものがだめだった。
ので
ホラー映画なんかを履修し、耐性を獲得した。無駄に過激に対症療法をしているので、実のところグロ耐性なんかはA+といったところである
ので、例えば、現場で動物の死体があった場合、他の者が気持ち悪がってやらないので、僕がこっそりと処分していたりする。割とグロ耐性は便利なのだ。もっとも仕事のことなので、僕がやらなきゃ他の誰かがやる。そういうものだ。
現場、現実は常に、問題に対応してうごかさにゃしょうがないですもの。
 
なんだかAEDの使用で服を脱がすことをどうとか言ってるようだ
仮に、条例化されようが法制化されようが知ったこっちゃない
必要なら服を脱がせるし、必要ならおっぱいだって揉む。当たり前だ
人命救助は緊急避難である。
現場、現実は常に、対応してうごかさにゃしょうがないのです。
というわけで、AED使用時の脱衣、おっぱいを衆人環視にさらされる羞恥なんぞはあたりまえに受け入れるべきです。あたりまえですね、あほらしい
 
そもそも生理的嫌悪に対抗できるスキル習得は訓練なので
生理的にいやだとかいう人は、適当に男女合同の水泳授業とかででも適当にエロい視線にある程度は慣らせとおいてくださいね、という具合だ。
めんどくさい
俺がいうのもなんですが、学校というのは、勉強だけではなく、人間関係のなんとかかんとかとかを学んだりまなばなかったりするところです
 
というか、ほんと、めんどくさい。広告くらい慣れろ
本当に慣れろ。なんだかこの話では、女性が傷つくとか言っているが
傷ついて当然だろと。
いや、慣れというのは要するに、ささいな傷つけて感覚を麻痺させていくことなわけですよ?生きている限り、だれもが傷がつくのです。アタリマエデスネ
 
半裸のにいちゃんの絵を見て、毒男の不快感は嫉妬なわけですから、「アア、オレハコンナニカッコヨクナイヨナア」とか思って勝手に絵に傷ついて、それもしょうがないかなどと思って、でもそんなんじゃ生きていけないし界隈だって歩けない
ので、慣れるわけですよ?傷つくのは当たり前なのです。
少なくとも、我々にとって、社会性とはそういう一般的な感覚を受け入れ、社会に対して譲歩をみせることだったりするのだが
彼らのやっていることは逆であり、自らが社会性の模範を名乗り、社会に譲歩を迫る。
そのために「公共」というものを利用するのだ。

毒男のことと例のアレのハナシ