旗本てんつくのブログ

いろいろメモ書き的ななにかです。ブログとかよくわからないので、無作法あったらすいません。

あれとかあれへのクレームいれるあの人らの話

例によって、推敲の余地のある書き散らし。
なんだかまとまらないが、タイミングがこのへんかなと思うので公開雑記
 
見て不快というならそもそもが
人間、一つの価値感や感性だけで生きているわけではないので
機嫌のよろしくない時など、目に映るもの全てが不快だとおもってしまう。
目からビームが出せるのなら、そのすべてを焼き尽くし、あたり一面を焼野原にしてしまえばどれだけすがすがしいことだろう。
 
というわけで、ワタクシの精神衛生上の都合だけを申し上げると
世界はすべてインディゴブルーの空と地平線まで見渡せる荒野。あるいは白いホリゾンの風景で視界が埋め尽くされるべきなのである。
いつだったか見た3Dで表現された都市モデルのテクスチャーを白に置き換えられた映像。その街並みのなんと美しかったことか。ああいうのが理想かもしれない
条例ですべての建造物と道路、施設の外観を白にすると決めてくれないものだろうか
 
とはいえ、広告だの建築だのも一応、興味やまあ仕事の対象だったりするので、雑多できらびやかで刺激的な現在ある街並みも理解できないわけでもない。
そういういらだちは常にどこかにあるにせよ、オトナで社会人なのでそれでも表面上はニコニコしておるわけです。普通で当たり前ですね
そうやって世の中と折り合いをつけて、だましだまし生きているわけなのでございますよと。
 
さて、広告などに女性キャラクターを起用するたび、性的だ不快だとおっしゃっている方々がいらっしゃるわけなのです
では、その対偶を考えると
例えば、男性の半裸、もしくは半裸の絵。そういうものもありやすよな
でまあ、そういうものに不快感を感じる毒男ってのはいるっちゃいるのデスよ?
まあ当然ですわね。僕なぞはあらゆるものが目に入るのが不快なわけなので当然その一部に含まれるわけなのですが
でまあ、その理由を突き詰めてしまえば、結局、理由は嫉妬だとあっさり認めてしまうので素直でかわいいよな
 
不快だと思うのはしょうがないのデス。生理的なものなのですから
でも、不快だからやめろとか、よくないとか環境型セクハラだとは言いません別に
まあ、そういうのも社会には必要だと、そこはうまく折り合いをつけているわけです。我々は「社会的」な生き物ですから。
俗にいうお互い様です。世の中自分の好きなものや都合のいいものだけではできていません
そうあるべきでもありません。なのでお互いに譲り合って妥協してということですわ
 
さて、一方で公の場での広告等の掲示について、
制限はもともと法律や条例などで定められています。
それに準ずるならエロ広告の制限は「公序良俗に反する」という実にふわっとした基準になるのですが、または撤去理由については「煽情的である」という言葉がよく使われる。
実際に、これを理由にクレームが来た場合、協議の上、取り下げられると。
以前秋葉原で巨大な掲示物がこの理由で撤去された時には
とりたてて誰も文句は言わなかったわけですな、あの時はいささかやりすぎなので「撤去されて当然」という意見が多かったわけで
なんとなく不文律でボーダーが決められてはいるのです。要するに過激表現は程度の問題だというわけだ。
この「程度」については、いろいろな要素がからむ
例えば撤去された広告と、同じ図版が店頭広告として掲げらえていてもおそらく問題にされないだろう
要するに、図版そのものではなく、どれくらい目立つのか、つまり公共にあたえる影響が絡んでおり、こっからダメとか、ここまでならいいとかは一概には言えず、まあざっくりとした判断で現場は動いていて、それが「一般的な基準」になっているのだ。
 
でまあ、一部の人はそういう「一般基準」を無視し
なぜか宇崎ちゃんとか戸定梨香さんに絡んでくるわけですよ。
それは一般的な「公序良俗に反する」ではなく根拠が利己的な価値観がもとにすぎないのだからうまくいかないし、理解もされない。
なにやら環境型セクハラとかいって新しい権利を主張しているようでして、「嫉妬」ではないらしいのだそうだが本当かどうかはしらん
難しい言葉をつかえばごまかせるものではなく、単に、一般的な感覚を無視してクレームをつけるので、炎上するのである。
 
このへん、クレームをつける側は実にこす狡く、ここまで説明したことも当然、わかっててやっているんだと思う。クレームをつけるにせよ「公序良俗に反する」とはなかなか言わないわけっすよね
それでいて、公の機関、または公共性の高いと思われる組織にクレームを入れて「ふさわしくない」という言い回しをしてくる。
要するに、公は自分たちの価値観を支持しろ、とやってくるわけですね。
 
ていうかねえ、ガキじゃねえんだからエロ耐性なんて獲得しとけよと
乙女ゲー系のホモホモしいイラストがは実際に自分にとっては不快なわけだが、同時に眉一つしかめずにかっこいいだのエロいだの、もうちょっとおもいきり肌だししたほうがかっこいいんじゃね?などと、評することもするし、かけといわれればかいたりするのもやぶさかではない。嫌悪感とは別に耐性を獲得しているからだ。
 
子供のころはお化けとかゾンビとか、とにかく怖いものがだめだった。
ので
ホラー映画なんかを履修し、耐性を獲得した。無駄に過激に対症療法をしているので、実のところグロ耐性なんかはA+といったところである
ので、例えば、現場で動物の死体があった場合、他の者が気持ち悪がってやらないので、僕がこっそりと処分していたりする。割とグロ耐性は便利なのだ。もっとも仕事のことなので、僕がやらなきゃ他の誰かがやる。そういうものだ。
現場、現実は常に、問題に対応してうごかさにゃしょうがないですもの。
 
なんだかAEDの使用で服を脱がすことをどうとか言ってるようだ
仮に、条例化されようが法制化されようが知ったこっちゃない
必要なら服を脱がせるし、必要ならおっぱいだって揉む。当たり前だ
人命救助は緊急避難である。
現場、現実は常に、対応してうごかさにゃしょうがないのです。
というわけで、AED使用時の脱衣、おっぱいを衆人環視にさらされる羞恥なんぞはあたりまえに受け入れるべきです。あたりまえですね、あほらしい
 
そもそも生理的嫌悪に対抗できるスキル習得は訓練なので
生理的にいやだとかいう人は、適当に男女合同の水泳授業とかででも適当にエロい視線にある程度は慣らせとおいてくださいね、という具合だ。
めんどくさい
俺がいうのもなんですが、学校というのは、勉強だけではなく、人間関係のなんとかかんとかとかを学んだりまなばなかったりするところです
 
というか、ほんと、めんどくさい。広告くらい慣れろ
本当に慣れろ。なんだかこの話では、女性が傷つくとか言っているが
傷ついて当然だろと。
いや、慣れというのは要するに、ささいな傷つけて感覚を麻痺させていくことなわけですよ?生きている限り、だれもが傷がつくのです。アタリマエデスネ
 
半裸のにいちゃんの絵を見て、毒男の不快感は嫉妬なわけですから、「アア、オレハコンナニカッコヨクナイヨナア」とか思って勝手に絵に傷ついて、それもしょうがないかなどと思って、でもそんなんじゃ生きていけないし界隈だって歩けない
ので、慣れるわけですよ?傷つくのは当たり前なのです。
少なくとも、我々にとって、社会性とはそういう一般的な感覚を受け入れ、社会に対して譲歩をみせることだったりするのだが
彼らのやっていることは逆であり、自らが社会性の模範を名乗り、社会に譲歩を迫る。
そのために「公共」というものを利用するのだ。