旗本てんつくのブログ

いろいろメモ書き的ななにかです。ブログとかよくわからないので、無作法あったらすいません。

平面のアレの件

SLIMで宇宙関連を覗いていると

フラットな人をときどきみかけてしまう

トンでも論自体は嫌いではないのであってもいいと思っているのだが、昨今はなんというか空気が違うというか

球体派との議論もあるが、なんかこうね、なんだろう。

球体説側の人らも基本的なことを忘れている感が

 

そもそも、地球球体説っていうのは天体の運行を説明するためにピタゴラスイッチさんあたりが「あれ?地球って球じゃね?」とか言いだして出てきたわけじゃないっすか

天球説の根拠ってのは、星の見え方やね

なので、球体を否定しちゃうと、そのへんが説明できなくなっちゃうんですよ

 

平面説の人は、星は半球状の天蓋にあるプラズマだとか言ってるわけですが

それはそれとして、その半球に88の星座がどんなふうに描かれているのかってのは説明しないじゃないですか。ものすごく簡単で基礎的なことなのに。かいちゃうと矛盾があるの判ってるからね。彼らは自分たちの矛盾には徹底的に目をそむけます。

地球儀を展開して平面だと主張しているわけですが

その結果、南極点が外周となり誰が見てもおかしなことになっている

これについては、南緯66度以南はまるっとすべて捏造と主張することで、観測の意味をなくして、矛盾を隠蔽しているわけ(なんだこりゃ)

 

だが、地球が球なら天球も球。

けれど天球儀を開きにして歪めて補正し半球にはりつけたところでうまくいきません。

彼らの理屈では星が描かれた天蓋は北極の天頂に北極星があり、北極を中心に回転しているそうです。

なるほど、北の極点あたりはそれでごまかせそうですが、世界には古来より伝わる有名なナレーションがあり

天空にふたつの極星あり! すなわち北斗と南斗!」(CV:千葉繁

まあ、南極星はないんですが。赤道より南下すると、南の極点が見えてきて、日本ではなじみの薄い南の星座が見えてきます。

南の星座は南の極点周辺にまとまっているので、天球を開いて北極点から遠い位置、半球の地表付近にぐるっと配置するってわけにもいかないんすね。

しかもこれらは北極点周辺同様、南半球の夜にはどこからでも南に見え、天の南極を中心に回転するわけですから。彼らの世界観でどう説明つけるのやら。

でまあ無理なので彼らは天蓋に描かれた半球儀を絶対に出してきません

 

天球儀というのは地球儀よりはるかに古く、2500年前くらいからあったそうで、基本的には実際の天球と反転しています。そらそやな。目の前に見える星空をスケッチして、星を基準に円い台座にペタペタと貼り付けていったらそうなる。

ペタペタやってるうちに東からかいてない星が出てくるからまたかいてペタペタ

半年もすれば最初、西にあった星が東からのぼってくるようになるからそれで一周。

空欄は南半球に行ってペタペタすれば完成やね。

平面派がなにを言おうが、こんな単純でわかりやすい観測によって求められている天球儀なので、とりあえず天球は球なんです。反論するなら反証が必要。

そんでその天球儀を眺めながら、なんで時間と場所で見える星が変わるんやろって考えてなんやかんやした結論が地球が球体だって説ってわけ

実際、球体以外にこれら星の運行を説明することはできないです

平面派のひとらは、そもそも星がどのように配置されているのかという簡単なことすらできてないので、正直、真面目なお話にはならんですね。

端から真面目なお話でないトンでも論は大好きなんですけどね

 

なんだろうかこの空気がなあと考えてちょっと思ったのが

平面論には根拠がないんだなと思った。いろいろ調べてみたが、あるとすれば「体感できないから」ということで。それはそれで別に悪いわけではないと思う。それを根拠に仮説と検証で論じるならそれなりの論になるかもしれない

だが、彼らは持論の検証ではなく、まず球体説を否定しようとする。それによって持論を肯定しようとするんだな。他人を否定すれば自分の説が肯定されると思っているというか、そんなわきゃないんすけど

いまだ天蓋に88の星座が描かれないのはそのためか。そんなことには興味がないんだね、たぶん。

だが、それは球体説のほうも同じで、発言の中には間違っていることや誤解してる発言も散見する。もうちょっとこう、なんとかならんのですかね