旗本てんつくのブログ

いろいろメモ書き的ななにかです。ブログとかよくわからないので、無作法あったらすいません。

すすきののアレの話

例の首切りの話がわりと話題となってたりもするようなのですが

実はさして興味はない。
 
なんだかレズだかホモだかという話がでてきて、めんどくさいことこの上もないのでできれば遠くでやっていてほしいなあと思っているのですが
なんだか、加害者に共感する声が多いというはなし。具体的には数万人?
うん、よくわからない。
共感するということは、理解し同調しているということなわけですよ
理解。いやこんなわけわからない事件を理解できるのかと。というか理解したくもないのデスよ
他人が理解していることが理解できないのはなんだか悔しいので
通りいっぺん、表面的なことだけひっかいて考えてみることにした。
といっても、いちいちメディアに公開された情報を紐づけるのはきわめてめんどくさいので、なんとなく話に聞いただけの情報を転がして考えてみる。ので、まあ適当なのだが
共感している方々も、そこまでじっくりと見ていないとは思うので、その程度のものということで。まあ、ごちゃごちゃこねくり回すどうでもいい話である。
 
この事件はそもそもよくわからない事件だ。
一番わからないのは、センセーショナルに語られる報じられた首切りである
加害者は首を切って自宅へ持ち帰っている。なんでそんなことをしたのか
共感者は当然、正解が「判る」わけだ。
不可解な行為、ここの解釈が違えば、犯人の動機への意味づけが変わる。
現在報じられている理由付けでは、物理的な理由。死体の身元をわからなくするためとのことだが
時間と手間をかけて、頭部を切断するリスクを考えれば、どう考えても合理的ではない。隠蔽にしてもせいぜいが時間稼ぎにしかならない上に、遺棄せず自宅に持ち込むのはどう考えてもばかげている。
そうなると、この事件も首切りも、単にバカの起こした意味のないばかげた行為ということになるが、そうなるとこまったことに共感には価しないことにもなる
他に切断と持ち帰りの物理的な必要性が出てこないので、ここでは理解して共感している彼らの考えを理解するのが目的なので、その動機は心理的な理由と仮定したい。
 
つまり、首を切って持ち去ったのは、本人がそうしたかったから、またはそれが目的だったからまでありえるということ。
じゃあなんでそうしたかったのかってことだが
 
隠蔽目的でなく死体を損壊する場合は、憎悪によるというものが自然ではある。
憎かったから頭部を切ったという話である。
被害者は加害者とトラブルを抱えていたので、まあ憎かったというのはあるのだろうなとは思う。
もっとも死体をなんやかんやしたいとして、頭部の切断になるのは不自然ではあるが、犯罪者の個性というならしょうがない。
が、その場合、遺棄しない理由にはならない。
憎い相手を死んでも痛めつけてやることが目的なら、持ち去ること、持ち帰ることの意味がわからないのだ。
ということは、アレですわ、記念トロフィー?
要するに、記念品である。相手を下して勝ったという自分へのご褒美。勝者の誇らしい戦勝品としての価値、実際、捜査が入った浴室にその戦利品は鎮座してたそうだし。
 
相手を殺し、確かに首をとったという証拠である。
首狩りは、東西問わず様々な民族の風習に存在するし、人間の本能的欲求といえよう。
とはいえ、欲求としてストレート過ぎる気もするが、意外とこれが今回の事件のあてはまるところには当てはまるきもする。
というか、そういう解釈を組み込まないと、そもそも自宅に持ち帰るという行動に理由がつかないのだ。
 
さて、この場合、行動のバイアスにどういう変化があるかと言えば
首を切ったのは勝者であることの証明なのである。
この殺人者は自分が勝者であることにこだわる。勝ち組といったほうが判りやすいのか
加害者は被害者にレイプされたという話がでているが、それが正確な情報なのかはしらないが、このへんも辻褄は合いそうな気もする。要するに、加害者は被害者の行為によって被害者から格下、負け組であるとみなされたという背景があって、それが不満だったわけだ。
それを打破すべく相手を殺して勝者になった、ざまあみろ。という極めてシンプルな話になる
他人に勝ちたい、相手より上位にいたいという願望。
 
で、もう一つ、この事件で奇妙な点としてあげられていることがら、家族の協力である。
これも上記の背景を仮定すれば、案外、シンプルに解決する。要するに家庭内で加害者が一番上位の存在なのだ。
どういうわけだが、他の家族は娘に逆らえない。そのありていが支配的な女王様なのか、わがままなお姫様なのかはしらないが、ともかく家族が娘に逆らえず、娘が家族を支配する家庭内強者であるなら、この事件の構造は意外とシンプルになる。
現実的にそれがどういう意味合いになるかはしらんが
 
また、この場合、共感するとした人たちが、なにに共感したのかもわかりやすい。
要するに、他人を見下す勝者になりたいという願望があり、それを実践した加害者を勝者として共感しているのだ。
それが数万人。
そのひとたちがこういう背景を想定しているのかはしらないけれど
想定していないと共感なんてできないだろとも思う。
でもだとしたら、例によって世の中って怖いんだなあと思わざるを得ないが
世の中は実際に怖いのでそうなのかもしれないと思う。
強者になりたい、他人を見下したいという願望は、共感者の中に多くある感じもするので、まあ、そういうこともあるのかもしれないね、と思うしだいです。