水着撮影のアレ
例の撮影会なわけですが
推しの子6話感想。
例によってお蔵入りしとこうと思ったやつをなんとなくお蔵出し。
いろいろめんどくさい6話の感想デス。
6話初見の感想を言ってしまえば「つまらなかった」である
絵師とかAI絵師とか(毒)
またAI絵師は絵を描くだの描かないだのという話が話題になっている
やれやれ
くだらないことで終わりのない論争になるのは
どっちも間違っていて、双方間違いを認めず主張するからだな。
この話題でよくみかける言い回しが
「描いていないのにAI絵師を名乗るな」というやつだ
切り絵師、ドット絵師
もともと○○絵師が描くとは限らない、描いていないのにAI絵師と名乗るのはおかしいという理屈がおかしいのだ。
AI絵師という呼称がふさわしいかはしらんが、描かないことが違和感という人は、単にものをしらんだけだから認識を改めるべき。
また、AI絵師が心で描くとか世迷い言をいっていたらしいが、
それは描くというより描く(えがく)と読むのが誤解がない。
理想の完成形を心に描く(えがく)というのは、ドット絵師や切り絵師は、小説家も写真家も設計者もプログラマーもだれでもやっているのである。
だがここでいう描く(かく)描かないというのは単なる作業のことなので、AI絵師は描かない当たり前だ。
ドット絵師も描かない。彼らは魂を込めてドットを打つのである。
「打つ」と言うのは彼らのプライドなので、AI絵師が描くと呼称するのは自分のやっていることに対するプライドの欠如だな。
所詮、絵師の真似事がしたいだけで、そこにはドット絵師のようなプライドも矜持もないんだと逆に自分たちの存在を軽くする発言やね。
もっとも、AI絵師も黎明期には自分たちの作業を召喚だの錬成だのいっていた。彼ら自身、なんと呼称するのか決めかねていたので、やがてあたらしい呼び方か出てくるのを期待したが、
AI絵師が「描く」と言い始めたあたりで空気が変わる。
おそらく、このタイミングで絵師界隈の一部から人員の参入があったのだろうか。
他にもいろいろ
AI絵師は絵師じゃない。
これは正しい。強調する意味もないけど。ドット絵師も絵師じゃないしね。
ところが、絵師ではないとしていながら
絵師としての基準を当てはめて評価している。これがどうもわからない。
なぜ自分で絵を描こうとしないとか言ってる。いや、そらべつに彼らはAIで絵を作りたいので、絵を描きたいわけじゃないからだろ。
絵師様はデジタルイラストとアナログや油絵を同じ物差しでみるのだろうか? っていうか見ているのだろうなと思うとぞっとする。
絵師村では何だか知らないが彼らの中の「常識」とやらがあり、一本の物差しで物事をはかろうとするきらいがある。その時点で創作者へのリスペクトもなにもない
それでも、写真とイラストを同じ物差しで語るやつはおらんだろう。写真には写真の評価の仕方があるべきである。まあこの程度の理解は期待してもいいかな? いいよね???
昨年の7月ごろ、お手軽にWOMBO Dreamを半日くらい遊び倒してみて
これはカテゴリーでは写真に近いのではないかと思った。想像の世界の風景を撮るカメラ。つまり
「妄想カメラー!(てってれてっててーん)」みたいな話だ。
冗談みたいな結論だが、技術的にはそんなわけないので、もちろんAIイラストをわかりやすく考えるための比喩である。
一応、その時点での使用、技術的、法律的、また絵を描く立場として考証した結論だ。
未知のものを理解しようとするとき、多面的なとらえ方をするというのは必要で、そのへんがちゃんとできていれば、だいたい大きく間違った認識にはならない。
そもそもがたとえ話。「だいたいこんなもんやろ」くらいの話なので、間違っていたらその時はまた考えを改めればいいのであり
AIイラストについては短い期間でいろいろあったが結局、現状まで認識を改める必要を感じない。
絵師側はAI絵師は絵師ではないとしながら、絵師のカテゴリに入れてしまっているので、おかしな発言で堂々巡り。時間を無駄にしているのだ。
イラストと写真を比べるべきではないように、イラストとAIイラストを同じ物差しで評価すべきではない。
写真をやりたいって言っている者に絵を描けといっても意味がない。
ボタン一つで作品をーなんて言ってたが、もはやその発言自体、写真家に対する冒涜ですな
ポタン一つで小学生でも写真は撮れる。当たり前だ。
それでも、写真家は表現者にも芸術家にもなれる。小学生の写真、写真家の写真、その違いがどこに生まれるのか、ちょっとは考えてみてほしいものだ
そのへんをちっとも考えないで「リスペクトー」などと言ってたのなら残念なことだが、まあ、言ってそうですよねえ
写真はその性質上、リアルさは担保されているので、イラストと写真を並べ、小学生がとった写真の方がリアルだから価値があると思う者はいないだろう。
同様に、AIイラストは一定のクオリティを機能的に担保しているので、イラストと並べ、クオリティが高い低いと論ずるのは意味がないです。
そういえば、ぼく絵師の知り合いは身近にいないのですが
それなりの賞をとって写真集出してる芸術系の写真家さんならいてるです
なので、なんとなく彼らの苦悩や努力とやらや
彼らを表現者たらしめてるなんやかんやというのはわかるようなきもするのですが
そういうのと比べると、いまのAI絵師さんが主にやっていることは
女の子のエッチな写真を投稿し、お金をもらっている程度の写真家さんレベル、なのです。まあうん。その程度で「心で描く」とか言われましてもねえ
写真がそうであるように、そういうのも必要な部分ではあるのでしょうが
早いとこ、表現者だの芸術家だの名乗れるようになるといいですね(ニッコリ)
かくいう具合に、AI絵師側には課題はいっぱいで、それに気づいている一角は今も黙々とトライアンドエラーを繰り返し試行回数を増やしているのだろう。
トライアンドエラーは必要なはずで、そのために人員が増えるのは歓迎すべきなのだろうが質がなあ。「心で描く」とか言い出しちゃっているのは所詮、AI界隈でも地位の向上に貢献できない層なんだろうな。かわいそう
さて、写真と比較してもう一点
写真も肖像権や著作権。他者の権利を侵害しようとすればいくらでも侵害できるものなわけです。写真家がそういう写真を撮ることもあるでしょうが、公開にあたっては権利関係に問題ないよう配慮されます。問題のあるものは公開せず、または修正して公開されています。当たり前ですね。
AI絵師にとってもそれは同じで、権利関係に問題あるものをはじくのは、AI絵師の仕事なわけです。
そのへんStable Diffusionの規約改定でも明言されました。いいですね、自己責任ですよ。
現在、AI絵師の地位なんて不安定なもので、問題を起こすのは益にはならないと思うのに、なんか進んで問題起こしに行ってる層が一定数いるのはどういうわけだか
AI絵師を名乗りたいならちゃんと仕事してください。ちゃんとしましょう。
あと、現在は、絵師側の著作権の認識がグダグダなので、AI絵師側は身を守るために、双方の権利を守るためにも、著作権関係の知識が必要になってくると思います。そこは、せめて絵師側より著作権にくわしくなっておいたほうがいいですね
今のうちにちゃんと勉強しておいてください。知らんけど。
双方に言いたいのは、ともかく無用な問題を起こすなということだなあ
問題はすでに山積で、消化する前に次の問題が出てくるのは双方の益にはならないです。
問題を起こすことや文句を言うだけならだれでもやれるわけですが、問題の解決を試みる側というのがほぼ誰もいないのがこの件の最大の問題か
絵師様側はふんぞり返って政治家や企業に丸投げだしなあ
そもそも課題はあるのです。双方にそれぞれの
AI絵師側には地位の向上が必要だし
絵師側は主にi2iが著作権違反に該当することの実証、これがないとおそらくLoRAについて合理的な権利の主張まで手が回らないです。
あー、まあどちらもあんまりやる気なさそうなのでどうでもいいか。
個人的には、絵師、AI絵師の問題を起こすような層が、つぶしあって適当に双方共倒れになれば少しは風通しもよくなるだろうなあなどと思っていたので、昨今の状況はむしろ喜ばしいことではあるので、やっぱりどうでもいいのです。
AIイラストと絵師界隈のお話(毒)
AIにからんでの話ですが
実は、ことあるたびに「絵師側」の発言がむかつくものばかりでほんとどうしようもない。絵師界隈というのはどうも自分には水が合わないのである。
ので、そのたびになにかこう垂れ流した愚痴のような文章をたびたびかいているのだが
べつに界隈にケンカを売るつもりもないので、たいていはお蔵入りさせている。
例えば、である。
以下、過去の文章から抜粋。
なんだか赤松某さんに対する風当たりの強いコメントを見かけるわけですが
えー、あーえー。うん
たぶんね、かれらにとってはなんだかこう、
AI絵師に関する話題で、法整備が遅れているという話がありまして
偉い政治家の先生がもっとこう絵師様の被害によりそって絵師の権利をまもる立法をするべきでそれが遅れている世間はケシカラン、世界はけしからん
権利をまもるための法整備を急いでしないといかんのに
全部法律のせいだ社会のせいだ政治家のせいだ、赤松が悪いとかそういうことなのでしょうが
えーっとね、えー。
法整備が遅れているのはだれかのせいだとして
いや、うん実はですね。実は世の中で法律ってのは共通のルール作りなわけなのですが、実はぶっちゃけあくまでおおざっぱなルールでしかなくて
細かい部分っていうのは法律をもとに行われる裁判を通してできた判例によって補完されていくのデス。いわゆる判例法主義というやつだな。
なので専門家がいうところの「法整備が追い付いていない」っていうのは
およそ「判例がない」というのと同義なわけなんですよ?
いやAIイラスト関連の判例がないのは、台頭してたかだか半年くらいのことなのでほんとしょうがないことなんですが
そこをあえて「誰かのせい」だというのなら
判例は裁判の結果ですし、裁判を起こすのは権利を侵害された被害者しかありえないです。つまり、法整備がすすまないのは被害者が裁判を起こさないからですし
被害者であらせられる絵師様のせいです
合理的な帰結ですね。
とはいえ、別に個人で裁判をするのはお勧めするわけではありません
それでも口をあけて、社会のせいだ!法律のせいだ!赤松のせいだ!
と文句を言っていればだれかがおいしい餌をあたえてくれるだろうというのはいささか都合がよい妄想がすぎるというものです。
絵師様がお住いの世界ではどうかしりませんが
上でかいた法律と判例の関係は一般の社会では常識です
絵師様は法整備を整える側の人間です。
著作権は著作物を生み出した書作者に与えられる個人の権利ですし
権利を守るのは著作者の責任です。著作権を振りかざしたいのなら、ちゃんとしてください。ちゃんとしましょう。
自分の責任を放棄し誰かのせいにするのは恥ずかしいことのはずなのですが
社会や法についての常識や意識がこうも低いとこれはもうなんといって説明したらいいか
以上引用終了
たしたり引いたり、オブラートにつつんだり、それでもある程度理解されるような言葉で、可能であればもっと穏やかで理解されるような言葉でと思っているのだが、どうもうまくはいかない。
調整の過程で放置された文章で中途半端なところで終わっていますがまあ。これはこういうものでしかたがない。
でまあ、先日
NHKでAI絵師界隈の問題が取り上げられて「クリエーターとAIの未来を考える会」という団体が取り上げられたわけですが
彼らの声明、まあ回りくどい言い回しで語ってはいるのだけれど、上で説明した「常識」を踏まえたうえでなにが書いてあるか考えてみれば、要するに
「裁判をするのはいやだ!(きっぱり)」
「金をよこせ!」「権利をよこせ!」
「俺たちの都合のいいように法律を変えろ!」
口をあけて上を向いているから、おいしい餌を食わせろ、ともう完全に言っているわけですな。
うん、まあうん。まあある意味すごい。すごいなほんとに
仕方ない面もある。なにせここの理事が20歳だそうで、社会の仕組みも常識も法律もなかなか理解できていないのだろう。
むしろそういう彼らをクローズアップしてしまうNHKのほうに問題があるというか、いわゆる人権派のマッチポンプを疑ってしまう。
仕込むにしたってそういう人材しか得られないほど「絵師」さまの人材的層が薄いことがうかがえる。
結局ねえ、絵師の問題としては、以前懸念したように、安易な換金システムからくる層の若年化と経験不足が深刻なんだろう。ホントぺらっぺらですよ。気づいていないかもしれないけど
絵師さまの互助会みたいなのを作ったなら、普通に裁判をやるべきである。
つーかやれ。
私見ですが、i2iによる画像作成は著作権の侵害になるはずです。わりと同じように考えている人はいますね。
ところが、「はず」「私見」という言葉がいつまでたっても取れない。断言できないのは、判例がないからです。
自分もここは興味のある点なので、そのための裁判というので匿名の寄付をつのるのであれば、諭吉さんを何人か送りこんでもいいです
具体的にいえば、3諭吉さんくらい? 妙にリアルな数字。別にそれ以上払ってもいいが、好奇心の対価なので、その場合は応相談で。
さて、意地の悪い言い方をしてしまうと、
絵をお金に変える気もなく、絵師界隈の空気が読めないワタクシめが、いくばくかの金を払うと言っているわけで
自分の絵に価値をつけてお売りになって、日頃からチョサクケンガーとかおっしゃっている絵師様方は、自分たちの権利を守るために、おいくら万円お支払いになられるのでしょうか?
見ものと言えば見ものです。
別に金を払えば偉いとかそういう話じゃないです。
裁判をするにも金はかかります。口をひらけば文句を言うより、ちゃんと地に足をつけ、具体的な考えをしてくれ、という話です。
「i2iによる画像作成は著作権の侵害」これを実証し判決を出すこと。これが今絵師側がやらなきゃいけないことです。
現行法で対応できることは対応すること。いまあるものでなんとかすること。
だいじなことです。それをやって初めて見えてくる問題点もあるからです。
絵師側のひとたちは問題があると言っていますが、文句や不満があるのはわかるのですが、法律に照らし合わせてみるとなにを問題にしようとしているのかさっぱりわからない。
くだんの声明文もやはり、「権利をよこせ!」「金をよこせ!」といってるようにしか解釈できません。
この件について、法律の専門家や研究者の言っていることは理解できるし、共感できるのですが、絵師様側の言っていることは理解できません。AI絵師側もたいがいですが、まだそっちのほうが理解できるくらいです。
そのくらい現実の常識や法律と乖離しているのだと思った方がいい。いわゆる絵師村の常識というやつです
今の絵師界隈は、ほんと当人が思っているよりはるかにガッタガタなのだと思います。
傍からみている僕がコワくて近寄ることもためらうくらい。いいかげん誰かがなんとかした方がいいと思うのだが
まあこういうものは誰がどうやってどうなるというわけでもないし時間がかかるものでもあるだろう。なのでとりあえず、傍からみている立場として思ったことはかいつまんでいっておく
これがなにかのたしになるといいのだけれど。
トレパクってなんだ?
AIイラストについての記事を追っかけっていると
相変わらず、絵師側を自称する人がトレパクトレパクと言ってる。
トレパクは、トレスしてパクるの略で、それ以外の解釈を聞いたことがないのだが
彼らの言うトレパクってのはなんなんだろう。どういう意味で使っているのだろうこれがわからない。
トレパクのトレがトレスの略であるということが分かっていないわけでもなさそうなのに、トレパクと言っているのだ。
本当に意図がわからないので、考えてみた。トレスという言葉に、二意的な意味を持たせている可能性
トレス=元ある線をなぞる=手抜き。みたいな意味を持たせているとか?
いや、まさか。いやいや、仮にも絵師側の人間がそんなことを。まさかまさか
いやでも、他におもいつかない。
僕なんか線が雑なのを自覚しているので、ちゃんとかくときは、自分でかいた絵を3回くらいトレスしなおして線画にしている。もっと線をきれいにするには、本当はもう一回くらいやるべきかなとか思うのだが、そこは手を抜いているわけですで、トレスが手抜きと言われてもわかりません。
トレスは技巧で作画行程です。ペン入れも下絵をなぞるトレスなんだから、まともな絵師さまならトレスがいかに重要かはわかっているはずなんだがなあ
アニメの現場においては、トレスはもっと重要な行程になる。同じ絵、同じ線が動いていないと成り立たないからだ。
かつてセル画を使用していた時代は、トレス台はアニメーターの戦場と呼ばれ、どこぞの現場は無理な進行のため過労でトレス台の上で死んだアニメーターがいたとか都市伝説レベルで語られる始末。その真偽はともかく、アニメーターは命を削ってトレスしているわけで、アニメの制作環境がPCに変わっても、トレスの重要性は変わらない。
どういう意図でトレスでないものをトレパクと呼んでいるのだろう
最悪なのは、トレスでないものをトレパクと呼んだ口で、クリエーターの苦労や権利を説くのである。
え?なに?トレスは苦労には入らないんですか?それか、苦労を認められるのは神絵師さまだけで、アニメーターはどうでもいいんですか?あれですか、アニメーターには人権がないとかそういう考えの人でしょうか?
まともな絵師なら、トレスの重要性を理解しているはずだから、トレスでないものをトレパクとは言えないし言わないと思うんだよなあ。
彼らの発言を検証すると、絵を描いていないのに絵師というのはおかしいと切り絵師やドット絵師をあげつらい、ボタン押すだけで作品を生み出す写真家をあざ笑う。なんだかそういう発言をして勝ち誇って喜んでいるるわけですよ。
いったい、彼らの言う、創作者って誰で、創作者の苦労ってなんなんでしょう?
創作者の苦労を建前に、「トレパクは悪!絶対に許さない!」 などという発言もよくあります。
モラルについての方便だとは思うんですが、本気で言っているなら怖いです。
そもそも個々の著作物について、許すか許さないかを決める権利を「著作権」と呼ぶわけですよ。それを勝手に許さないと主張するなら、創作者の権利に立ち入りすぎている。
さいとうなおき先生の動画によると、プロのイラストレーターは、トレパクについてあまり関心がないそうです。実際のとこそれはそうなんだろうと思います。
考え方はいろいろあるので、そう考えないプロもいるんでしょうが
常識で考えて、彼らが危惧すべきはトレパクではなく盗作です。
トレパクは、盗作の根拠や証拠になりますが、
トレパクだからといって必ずしも盗作になるとは限りませんし、トレパクでなくても盗作に該当します。盗作かそうでないかの基準は難しく、最終的な決着は裁判でつけられるようなものでもあります。
なので、トレパクについては、モラルの問題として考えるべきだと思っているのですが
そのモラルを振りかざしている側の発言が、とても創作者の側に立っているとは思えないんですよね。
アニメーターには人権がないらしいので当然として
創作者の苦労を盾にしていますが、実際のところ、イラストレーターの意向なんて汲んでいません。他人の著作権も尊重どころか自分の発言に利用してるだけなわけです。
ドット絵師も写真家ももちろん彼らの眼中にはありません。
彼らの守りたいものがなんだろうと考えてみても、現実の創作者には当てはまらないのです。まるで頭の中で考えた、創作者はこうあるべき、みたいな偶像。
理想の創作者に寄り添い、彼のためにモラルを振りかざす正義。
そんな自分の価値観とか正義とかを誰かに認められたがっている怪物のようにも見えます。
モラルとしてのトレパクの忌避というのは確かにあるべきなんですが
原理主義に陥ると、広い視野で物事を見ることができなくなり、容易に怪物になります。
トレパクがどうと論じるなら、せめてトレスが重要な技巧かくらい知っておくべきだと思う。トレスでないものをトレパクと呼ぶのはひどく不愉快なのだが
たぶんそれを言ったところで、彼らは自分の正義と価値観しか見えてないなら意味はないだろう。
もうちょっと。いろんな側面から物事を考えてほしいなあと思うのだが、まあムツカシイのだろうな
※この記事は別にケンカ売る意図もないので
適度にとがって適度に意味のあるような表現をこころがけ、なんか4回くらいかきなおしてなんかもういいやって思って公開しています。
意図が判らない相手というのは本当に怖い。
旭日旗のお話。
まああれだ
いわく、アイコンに旭日旗を使っている人間はもれなくネトウヨ認定らしいので
一応、該当者にあたるわけですので
話題に乗っかっておこうと思う。まったくTwitterときたら
僕がTwitterが苦手な理由の一つ
「正しくて賢い僕が思うからそうなのだ」という論調が安易に通用する世界であるからだな。
いや、所詮遊びのツールなのである。だれも140文字で反論なんざしねえよw
つぶやいて承認された気になって
独立した個人がそれをやっているのならまだかわいらしいが、それらはそれを是とする集団によってカテゴリーを形成し、集団内での共有した価値観を常識などと称し他者に対してマウントを取りたがる。こまったもんだ
意外なことに、僕はこの旗が好きかと言われるとどちらかというと苦手である。
赤と白のコントラストは見た目に強烈で、いったいどうしたものかと。他の図版と組み合わせるにもどうにも難しい。こんちくしょう、このやろう。
そのぶん、しっかりデザインに盛り込まれ、センス良く仕上がっているものをみるとスゲーってなる。
でまあ、そういうスゲーって思うデザインが、どこかの馬鹿にクレームつけられてああなったりこうなったりするわけで
いやもうね、それはかんべんしてくださいですわ。
先日のワールドカップのコスタリカ戦で旭日旗が撤去されたことの影響で、Twitterにもいろんな人たちのいろんな意見があがり、結構なことである。
まあ本件自体は、相応の連中がどういう形にせよ後始末をしてくれるだろうが
Twitterにある発言のなかで、やはり気になる主張があり
いやなにそれ誰が決めたんだ?って話ですわ。
なに?世界象徴認定員会とかあって決めたりしてんの?
「僕がそう思うからそうなんだ」とか思っていない?
戦争というのは国家同士の問題ですので
現在絶賛戦争中のロシア対ウクライナの話題において、なんぼロシアがけしからんといわれても、掲げられるのはロシアの国旗なわけ。ロシアの軍旗なんてそうそう知らんでしょ?
国内では1936年の二二六事件以降軍部が台頭したといわれているが、それは国内の問題で、それでも1945年までの資料で、旭日旗が日本の軍国主義の象徴であるかのように描いた資料はさがしてもほぼみつからないです。当時の海外でも、日本について触れるとき掲載さられるのは日本の国旗、日章旗ですな。当たり前である。
唯一あるのは、戦時下のアメリカのプロパガンダ映像くらい。いかに日本が凶悪で支配的で危険なものかの象徴として、旭日旗がえがかれてたりします。これはまあ、しゃあない。戦争というのはそういうものだからだ。
でまあ、戦後、日本と韓国は米軍の影響下にあったのでその間にそういう価値観が輸入されてるわけ。たぶんそれが正解。
要するに、旭日旗が軍国主義の象徴なんて思っている人は、80年前もの戦時プロパガンダにほいほい踊らされちゃってるちょっとアレな人なのだなあと
とはいえニンゲンそんなアホな人ばっかりでなく、戦後何年もたって当のアメリカさんだって「軍国主義?なんだっけそれ?」状態になっているわけでw
いやいやべつに韓国人様たちだってそこまでアホじゃないですよ。日本同様、10年前まではそんなアホなプロパガンダを信じているのは真正のアホな人ごく少数の人たちだったはずで
それがそういうアホな人を利用して言い訳してみようとしたあの人と
さらにそれを利用してお金儲けしてるあの教授のおかげでこれだけ騒ぎが大きくなっているという、つまらない話。
僕を含めて、現在ネットで発言している人の大半は、当然、1945年以前のことを知る世代ではないわけですよ。手に入れられるのは情報だけ。
情報は、ゆがめられたり偏ったものだったりするものだというのはいやもう、ほんとさんざん言われているわけですが、旭日旗を忌避する勢力が、10年というスパンで急激に拡大されているのは脅威を感じます。
ものごとなんてのは、いろんな視点でなでまわし、いろんな角度から考えること、そのものの実態を把握するのには最低限必要だと思っているので
1945年以前の話なんてのは日韓間では1965年の日韓基本条約でケリがついているんだから、可能な限り双方ふわっとした話で旭日旗なんかも流しちゃうのがお互いのためなのですが
「僕の考えた考えが正しいんだ!」みたいな世界で話をしはじめちゃうとこじれるこじれるw
ものごとの実態を把握するためには、ソース、データ、証拠が重要になってくるわけです
旭日旗が軍国主義の象徴であることの証拠を求めても、おそらくろくなソースはでてきません。だいたいが「僕がそう思うからそうなんだー!」のたぐいだからです。
ソースを添えて主張する、というのは実はたいへんにめんどくさいことなのですが
ああ、そういえば、8年前。ちょうど2つ前のWC合わせでこういうものを作っていたのが出てきたので再掲。
当時は韓国で珍妙な主張が台頭してきた時期だったので、なんかこういうのも必要なんだろうと思ってでっちあげたものです。
参考資料PDF https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000481575.pdf
仕事をしないことで有名な外務省様が旭日旗の広報ページを作ったのが去年だっけ? あれ?そんな最近?外務省仕事しろ
クオリティはともかく内容がほぼ共通しているのがなんというか
もっとはやくやってくれれば僕が苦労しなくてもよかったのになあ、と多少ぼやきつつ
ともかく広報力という点では、国家様は格が違うので、国に丸投げでいいんじゃないかなとホッとしたものでした。
というわけで
日本では旭日旗はお祝いの旗である。
日本ではスポーツの応援で旭日旗を掲げる。
これは、日本という国家が証拠付きで広報している事実です。この事実を否定するなら相応の反証が必要ですし
事実なんてのは、視点をかえればいくらでも別なとらえ方があるので、これと異なる事実が存在しても一向にかまいません
ですがこれに対抗する事実として主張したいのであれば、同様にソース付きでお願いしますね。
旭日旗がお祝いの旗であるというのは、実は、今ではピンとこないと思います。
個人的な評価で日本人は流行に過敏で、文化についてもが流行り廃りで流されてしまうものが多いのだなあ思っているのですが
祝日のことをはた日っていうじゃないっすか、で祝日には玄関先に日章旗を掲げる風習がある。割とそこまでは知っている人も多いでしょうが、以前は旭日旗もあわせて対で掲げていたりしたんです。そういうのも流行りのたぐいだと思うんですが、いまだそういう風習の残る地域や家庭もあるそうです。
これは祝日が軍旗に関連があるなんてわけはなく、単におめでたい旗だから掲げていたわけですね。
そのころの古いカレンダーには祝日を表す交差する日の丸の片方が、旭日旗になっているものもあります。旭日旗がお祝いの旗として使われていた物証です。
たぶん、台湾のひとらが使う傾福みたいなもんで、まあとりあえずめでたいから掲げとけと。
傾福といえば、福が逆さまになってんだから縁起がわるいんじゃないの?とか思ってしまったりしますが、やっているひとらが「いや、これはこういうもんなんや」って言われると、なるほど、と思うほかはないわけで
そういう民族の文化は尊重されるべきなんですが
旭日旗に関しては、国家が「こういうもんなんすよ」って説明してるのにも関わらず、「ぼくの考えたぐんこくしゅぎのしょうちょう」なんてものさしで旭日旗は軍国主義の象徴でーなんてやっちゃう。いやいやいやいや
やってることは民族固有の風習の弾圧なんでいかにもレイシストの所業でしかないのに、やってるほうは理由もなく自分の考えが正しいと思い込んでいるんですね。
まったくめんどくさい