旗本てんつくのブログ

いろいろメモ書き的ななにかです。ブログとかよくわからないので、無作法あったらすいません。

推しの子6話感想。

例によってお蔵入りしとこうと思ったやつをなんとなくお蔵出し。

いろいろめんどくさい6話の感想デス。

 

6話初見の感想を言ってしまえば「つまらなかった」である

5話までは判りやすく見せ場が設定されていて、しっかりと演出されまとまりもよい。
6話で見せ場になるべきは、やはりネットがらみの部分であり、原作でもみどころのある部分でもあるわけで、
そこをなんというか手を抜いているというか、手加減しているという印象を受けたわけだ。
ネットの中傷が怖い、という話である。原作は紙面の制限のある中、十分表現できていると思われ充分堪能して読めたわけだが、アニメであれば「紙面」の枷はなくなるわけで
もっとこう、仰々しくおどろおどろしく、過激にやかましく存分に、ネットの闇を表現して
と思っていたのが、あっけなく流された感じで、それで手を抜いているという印象をうけたわけだ。いやリアルなネットの悪意なんざ、あんなもんじゃございませんでしょう。
もっとも、アニメは毎回、演出面で意表を突く形で裏切り、丁寧な作り方をしていたので、期待が強かった。まあ、ワンクールで1話くらい手を抜いた作りのものがあっても別にそれで評価が変わるものでもなく。いいんだろうなどと思っていたのだが
 
ところが、ネットの評を見てみると、逆に評判がよく。
いやむしろ、感想評として「怖い」という声を聴く。かなり詳しい分析をしていた人もいて、その上で「怖い」である。怖かったか?あれ?
いや、あそこは、怖いという演出で盛り上がるべきで、怖いという評がつく限り、あの演出は正解だということになる。
で? 怖かったのか?あれが???
 
というわけで、この演出は正解である、という前提で
通しでもう一度みてみた。
みてみたが、怖くないですね。やっぱり何が怖いのかさっぱりわからない。
但し、合理的にこれを怖いと思う人がいるかもしれないという点を見つけた。
が、なんというか「自分が」感覚的に思う、感じることではないので、うまく言語化できない。
実際、これを怖いと思う世間様であれば、僕はむしろ世間様が怖いと思うわけですが
現実に世間様は怖いので、たぶん外れてはいないんだろうなと思う。
 
「ネットの中傷が怖い」なんていうのはもはや当たり前のことなので、わざわざ表現することでもないのですよ。ならここで表現するべきは別な怖さ。じゃあそれはなにでどうやったら表現できるのか、というところまで考えて作っているのだとしたら
この6話の演出は確かにすごいデス。
いや、僕はぜんぜん怖くはないので感覚的には理解はできないのですけど
僕ではない他の誰かのために演出された恐怖ですので、その時点で僕以外の誰かのために作っているので嫉妬しちゃうのデスね。
 
さて、うまく言語化できないと放り投げたいところなのだが
それだとぶっちゃけなんのことかさっぱりわからなくなるので
6割くらいの表現で言語化を試みてみる。6割である。本当は、周辺に2クッションくらいの背景的要素があるべきで、表現としても正確ではないのだ。
が、ここで述べるのは、そういう点をばっさりと切り取った、ありがちな言葉のあっさりとした合理的な説明ということで、むしろ表現の努力を買ってくれときたもんだ。
 
そもそも前提として、黒川あかねは間違っているのである。
騒動の中核、鷲見 ゆきには端からあっさり許されてしまい、そもそも現場の人間はだれもあかねのことを悪くいってはいないし、むしろ同情的ですらある。マネージャーは防波堤になっており、母親もかいがいしく心配している。それが彼女の現実である。
ネット上でああだこうだいわれたところで、まあ、どうとでもなるのだ。
現に、7話以降、アクアがどうにかするわけで、どうにかできるのはもともとがどうとでもなるからなのですよ。
もっとも「どうとでもなる」というのはさして重要ではない。この時点でべつに鷲見が黒川を許していなかったとしても重要ではないのだ。単に作中のできごととして「許している」という現実があるにすぎない。
実際、黒川あかねにとっての事実が穏やかなものであることは、実は故意に設定されています。それにより現実の側、彼女の身近にはなにも問題はないことが強調されているのです。
そうであるなら、問題の本質というのは、彼女の現実と、彼女が直面している問題にギャップがあるということだ。
故に彼女は間違えている。
 
でまあ、怖いというのは「前提として間違っている彼女」が
間違いに気づけなくなることが怖いってことなんだと思います。
まあうん、わかりやすいですが、表現として正しくはないね。彼女が恐れたのは間違いに気づかない事ではないので。これはあくまで客観的な表現。本編では、それが主観的に描かれているというわけだ。
それがどうして恐怖という表現になっているかは、たぶんああでこうでと
思うところはあるが、その辺はかなり想像になってしまうので切り捨てて、言語化はさけようと思いました。
 
とまあ、ここまでが感想になるのですが
でまあ6話に関して話題になっている例のアレの件なのですが
事実関係を整理すると、実証できる範囲で無関係です。関係がないというのが事実なのです。これが事実である以上、上の解説に基づくなら、そこから乖離するべきではありません。
ので、無関係を通すのが筋ですね。故に可能な限りスルーが吉なのですよ。
関連付けて何かを発言したところで、その段階で絡めとられネットの恐怖を彩る一部として意味づけられてしまいます。
君子危うきに近寄らず、とは言え炎上もネットの華なので、そういうのも悪くはない。
まあせいぜい皆様方、深淵に取り込まれないようお気を付けくださいね。