旗本てんつくのブログ

いろいろメモ書き的ななにかです。ブログとかよくわからないので、無作法あったらすいません。

ひぐらしのなく頃に 卒 考察 嘘とそなたら

あっ!

これアカンやつやwwww

いや、うん。たぶんな。たぶんやけどな

いやまあ、うん。マジで、マジで困る。どないすんねんこんなん

予想ねまあね、してはいたけれど、たぶんやらかしてますねえコレは

いや、まじかなあマジなのかなあ

 

まあ、とりあえず、だいたいの人はわかるだろうけれど

沙都子が鬼狩りの存在を知って、梨花の先回りをして回収する

いや、これはないんすよ。少なくとも今回描写されたような、オヤシロ像のなかに刀でーん!ってあるような形にはならん

綿騙し4で鷹野が頭部が空であることを確認しています。もしなにもなかったのがウソの描写であっても、鬼狩があった場合それだけで鷹野は有頂天の反応をみせることでしょう。

また、猫騙し4でも梨花は鬼狩りのカケラを回収しています。カケラが残っている以上、沙都子が今回の描写とまる同じことをして、カケラを残していったことになります。

いや、それはないだろ

今回の鬼狩の回収周り話はオハナシとして通らないんですよ。

描写に嘘があったとしても、すでに作中の人物の行動自体が辻褄が合わない。

 

さて、片方でここ数回にわたり強調されたこと

「そなた」「そなたら」「人の子ら」このところ、エウアは対象があいまいに表現された何者かに呼びかけたり、彼らのお話をしています。

彼らは、物語の描き手であり、エウアに物語を献上しています。一見、劇中の人物ともとれるように記されてはいますが

 

物語の辻褄が合わない。

劇中の人物は、これほどまでつじつまの合わない行動を演じることはありません。

また、繰り返しになりますが、「我らを記しし者」と著者の存在をほのめかしているエウアが、作中の演者をして、物語の描き手と称することはありません。

 

少し、前作の話をしましょう。

羽入は「見ていることしかできない存在」であり、視聴者(読者)の象徴でもありました。

そんな羽入が最後のピースとして舞台に上がること、それが惨劇回避の条件でもあります。まあ、はにゅかすさん実は、これといって役にはたたないんすけどねw

それでも羽入が壇上にあがるのことが必要だったのは、信じること。視聴者が惨劇を回避できると信じるという精神的な意味合いだったようです。

ひぐらしのなく頃には、前作から視聴者参加型のコンテンツだったんですね

だから、本作でも、視聴者のワクは用意されているわけですよ?

 

あと、3月くらいにやった生放送で

あのひと「鉄平をもっとみたい?」って視聴者に聞いてるんですよね。「監督に頼んでみよう」だってさ。視聴者が見たいっていったから、鉄平がこんなにクローズアップして描かれているんですね

もちろん、質問自体が誘導でありシナリオはさいしょから決まっています。

視聴者が望んだこと、思い描いた物語が描写されている、という演出です。

 

そして、すでに、ストーリーに致命的な矛盾が生じる以上、今、エウアが見ているのは騙し編とは別のカケラとするしかない。

多重カケラ説が好きじゃないのは、理由を説明しないからだ

なぜ、エウアが別のカケラを見ているのか、それが献上されたものだからですね

「そなたら」は矛盾する物語を思い描き、エウアに献上した誰かである。

さて、そなたらとは、誰のことでしょう?

 

 

いや、こんなん怒られまっせ

もしこれがあたってるんなら、いっそのこと、最後までナイショにしたほうがいいんじゃないかなあ

いや、だめだ。別解をさがそう別解を、だがしかし、だがしかし、うーん。

 

 

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0911 追記:今回のインチキタイトル画。

小学生沙都子とニセJK沙都子。元絵はこちら

みてのとおり公式画のトレスから起こしてあるわけだが、例によってJKの方は当時の想像図。

小学生のほうは梨花ちゃまと比べ、スカートの丈をつめてある。JKのほうもスカートが短い方が快活な沙都子らしいとか思ってみたり、あと、OP準拠で半そでにすべきだよなとか、けど、そうするとトレスであることが判りにくいのと、めんどくさいのでやめた。

それとJKだから生足だろうという謎理論もあったのだが、今度は沙都子であることがわかりにくくなると思ったので、こういう感じでおちついたのだが、とりあえず沙都子と認識してくれるようでなによりである。

推察よりもらしさ重視でつくってたりすることもあるのですとかそういうオハナシ。

 

今回はなんか、これアカンっておもって、放送終了後にだーっと書いちゃったけど

考えてみたら、次回放送日まで事態はうごくことはないので、ゆっくり考えてよかったんだよな

まあ考え直しても、かなりコレやってそうな雰囲気はある。やっぱり、「物語を描く」というキーワードが繰り返されているのが致命的に怪しい。りかさと以外は単にまきこまれているだけで、物語を描いている人の子ら。という表現にはやはり遠いのだ

というわけで念のために書いておく。