旗本てんつくのブログ

いろいろメモ書き的ななにかです。ブログとかよくわからないので、無作法あったらすいません。

ひぐらしのなく頃に 卒 考察 エウアと嘘

ここだだけのハナシ、某スレになんか僕のニセモノがいるみたいだがよくわからない
別にこちらに害があるでもないようなのでわりとどうでもいいのだが
ニセモノだー!って言ってみたところで人様にはどっちがニセモノかなんてわかんないし
ホントウのことなんて実はあんまり意味がなくて
知ってる人が知ってればそれで充分なのですよ。なので放置を決め込む。

さて、祟明し編3です。
いろんなところがガバすぎて、あいかわらずただの騙し編の辻褄合わせにしか見えない。結局、全編を通して、嘘だとするほうが都合がいいのだが
嘘だということ自体が実証もできないので、結局はよくわからない。

例えば、全部が嘘だったとして、もう一度真相を描写する余裕があるのだろうか
尺がなあ、尺が。
でも尺の問題ではそもそも一度騙されているんですよねえ
例の嘘映像説にしても、そもそも2クール完結だと思ったので、解答を急いでしまってたりするので、まあ、俺は悪くねえ。
今回も結局は15話では終わらなそうな気がしているので
今後は、尺のことはあんまり考えないで考えよう。うん

結局、祟明し3もいろいろあやしいとこはあやしいのだが、どうせそこからはなんもわかんなそうなので
祟明し編では、エウアが事実に反することを口にしているので
いまのうちに、エウアが騙す側にいるという可能性を考えていこうと思う。
これまで、騙される側として想定していたエウアだが、騙す側に回っているという想定が必要になってきたということだ

エウアが騙す側であれば、騙す対象は、騙しているシーンを見られる者。
つまり、より上位の存在か、もしくは視聴者である。
前者の場合、劇中で示唆された存在としては「我らを記しし者」。あるいはうみねこ風に言うなら、ペンドラゴン卿だのエウアを駒として使っているフェザリーヌだのとかいうオハナシになる。
のだが、正直、そういうのは僕好みのオハナシではないのだし、誰か詳しい人が考えるだろう、いや考えるべきだ。

というわけで、ここではエウアの騙している相手が視聴者であることを前提で考えたい。

では考えよう。
うん。ぜんぜん、わかりません。
作られた世界の住人であるエウアが、メタな視点の我々を騙す。メタすぎて意味がわからんわ。うーん
エウアが視聴者を騙して、なにか得することでもあるのだろうか?
ん?あるのか?いや、むしろあるのだと考えるべきか? で、考えたらどうなる? いやわからん。わかりません。ん-っと。ん-?

んー、祟明しで一番すごいことは、考察をあててる人がいることである。
思った通りだ、ニヤリ。
それは、すごいな。うん。すごいやん。いやマジで。うん、それはすごい。それは面白い
いや、バカにしているわけではなく、本当に感心しているのだ。これを真相として考察できるのであれば、これはもう、これが真相ということでそれでいいんじゃないかな? うん。

考察をあてたということは、この真相を想定でき、それを信じられるということだ。
だから、これが、真相として描かれているのである。そういうのはどうか?
うん。何を言ってるのか判らないと思うが、何を言っているのかわからないんだぜ。
まんまやんwww

ん-。例えば、僕に言わせれば、シャンデリア心中はウソなのである。
ところが、多くの人にとっては、シャンデリア百合心中は業における印象的なシーンであり、あのシーンの実在を望んでいるのである。だから、いまさらあれがウソだといわれても困る。
だから、あれがウソでも、真相は描写されないだろうと思っているのですよ。
二律背反する期待と予想。実は、真相なんてなたいていの場合、どうでもいいわけですな。

うみねこに、「その場にいる全員が承認すれば、それは事実として描写される」なんてへんてこなルールが設定されてたりする。
では、そのへん適当に組み替えて
「誰かが信じることができれば、それは事実として描写される」というのはどうだろうか
なんで? ってエウアが。なんかこう、えいや!ってやってね。
事実として描写されるというか、事実として描写できる。かな?
いやもういっそ、エウアはカミサマみたいなもんなんだから、それが事実であるカケラを創造できる。みたいな?

えっと、彼は何と言っていただろう「ひぐらしの世界は、拡張性が高い」か

そうだな。そもそもがひぐらしのそれぞれのカケラは平行世界なのである。
そして誰かが考えたカケラは、本編以外のカケラとしてすべて存在しうる可能性がある。ひぐらしのアンソロジー本はそういう想定のもと存在している。いやうん。そうだったな

業のアンソロジー本も出てる。それらは本編とは異なりでたらめな世界が描かれていたりするが、それも「嘘」というわけではなく、あまたのカケラの中の、一つの可能性の世界というていなのである。アンソロジーの帯いわく「こんな「業」でもいいじゃない」である。

視聴者、誰かが考えたものは、カケラの中で世界として存在する。
つまり、各騙し編の真相が誰かによって明し編のように考察されていた以上、それが真相であるカケラも存在するのである。
今、明し編で描かれているのは、そういう類のものかもしれない。

視聴者が考察するたびに、それを真相としたカケラが発生する。
エウアは数多くのカケラの可能性を見たい。
故に、エウアは視聴者を騙すのである。世界の拡張性を増やすために

そうなんだ。え?そうなんですか?そうですか?
え? なんだこれ???
エウアが視聴者を騙すメリットは、これまでに過去に提示されている材料で想定できる。みたいな話か?
いや、まさかこれが正解というわけではないだろうが、エウアが視聴者を騙すことをメリットとし、ストーリーに組み込むことは可能なのか。

祟明しでは、エウアは沙都子が先に死んだ場合、梨花のいない世界に飛ばすと言った。
僕はウソだと思ったが、事実だと思った誰かもいるのである。その瞬間に、梨花のいない世界が生まれたのだ。みたいなハナシだなこれ。

まあ、そういうストーリーが可能だというだけで、いまのところそれ以上ではない話。
ただ、どちらにせよ、エウアよりメタな存在というのは、いまのところ意識せざるを得ないと思う。