旗本てんつくのブログ

いろいろメモ書き的ななにかです。ブログとかよくわからないので、無作法あったらすいません。

ひぐらしのなく頃に 業 考察 リサイクル編。

初期に考えていた話をなんとなく思い出した。
これは、ちがうなーっと思いつつ。ちょっとおもしろいかなとも思うので、今わかってる現状にのせて回していくよー

でまあ、初期に考えてた話
綿騙し終わったくらいかなあ。
やっぱりルチーアにさとりかが行ってて、沙都子もループしててみたいな話でね。いや、今でもそこまでは同じなのだけどさ
沙都子と梨花がルチーアに通っていたが、なにかの原因で梨花が死んだとかいうおはなし
そして梨花を失ったことに悲観した沙都子は、なんやかんやで超常の存在と出会い、死んだ梨花を取り戻すために、梨花を追いかけてループにを始めるのであるー。という骨組み
いや、よくあるあるという適当なストーリーは
真相ではなく、単なる叩き台として考えいたわけだが
あとはあれだ、沙都子が梨花に自身のループを打ち明けない理由、超常存在に禁止されているから、とかいくつかのタブーが存在していると仮定していたりと

っていうか、後半部分も、考えてみれば現状と、変わらないわけで
わりと今の状況にもあてはまってんじゃね?とか
でまあ、それを強引に現状にかぶせてみたら面白かろうという好奇心。とはいえ、前も後ろも一致はしているのだ、そこまで無茶な話でもない。違いと言えば一点だけ

1週目、沙都子がエウアに出会い、ループを開始したのが高校2年の同窓会。
その時点で梨花が実はすでに死んでいるというオハナシ
当然、同窓会には梨花は一緒にいっていない、という話になる。
つまり、あの梨花は、沙都子の妄想、イマジナリーフレンドだ。
だから、同窓会での梨花は、ルチーアにいた時とは口調や行動が異なる。

実は、同窓会は梨花の死でふさぎ込んだ沙都子を励ます会だった。みんな沙都子の妄想に付き合っているのだ。
同窓会後、雛見沢を一人で散策したのは、そこに梨花との思い出があるから。
祭具殿が空だったのは、古手家を継ぐものがいなくなり、神社そのものがなんらかの処遇の過程にあるからだ。
あら、意外といけるなw

そして祭具殿で超常の者、エウアにであう
「見たところ、そなたには願いがあるようだな。」
「人の子の身ではかなえられぬその願い。我の力を得れば必ず成就させることができるだろう」うん、まあうん。なるほどねえ。おもいあたるおもいあたる

さて、2週目ルチーアである。
シャンデリア百合心中のトラップ。このトリックに言及した考察は聞いたことない。
みんなそういう演出だと思っているのだ。僕もまあ、つまるところそう思っているわけだが、ところが、この説であれば、仮説が立てられる。
要するに、あれは、トラップではなく事故なのだ。
実は1週目で同じシャンデリア落下の事故があり、沙都子はそれがおきた時間を秒まで記憶している。たまたま時計を見ていた女生徒から聞いたとかで
というわけで、実際は指をならしたからシャンデリアが落ちてくるのではなく、落ちてくる時間に指を鳴らしているだけなのである。

物覚えが悪い沙都子が、なぜ、時間を憶えていたか、
初回では、それが目の前で親友を失った瞬間だからだ。
そうなると、あれが、百合心中であるのなら、梨花を殺して自分も死ぬという話ではない
もともとがシャンデリアで死んでしまう梨花の死に、自分が巻き込まれたかった、というはなしだ。

さて、2週目シャンデリア事故が1週目の再現というのなら、それが起こったのは、63年の初夏。

最初に63年の初夏に梨花が死んだのだ。
あとは、梨花はルチーアへ行った場合、昭和63年初夏に死ぬ。必ず死ぬ、もう運命的に死ぬ
なにかそういう風にエウアに吹き込まれているとする。だから沙都子はどうしても、梨花を雛見沢に閉じ込めようとしている。的なことを考えるとまあだいたい、現状にそった話になったりならなかったり。どうだろうか

うん、まあ辻褄は合いそうなきがする。
そのうえ、沙都子がそうとう白くなるという
ありかなしかっていうと、うーんうーんうーん。

ぼくってイマジナリーフレンドとかそういうネタは割と嫌いなのよね。
だいたい、同窓会だけイマジナリっちゃうってのはどうなんだ?
というわけで、単に好みの問題で、ありかなしかってえと

じゃあなしで、
といいたいところなんだが、考えてみるとだな
前科はあるんすよね。
ストレスがかかると沙都子は、死んだ人間が当たり前のようにその場にいて、普段通りふるまっているという幻をみてしまうヤツであったりなかったり? あれ?
旧作、祟殺しの鉄平で似たようなことやってるわけですよね。イマジナリー鉄平です。あれ?あれあれ?
前例はあるかあ

ん?沙都子の認識が現実と違う?
ルチーアの一番、奇妙な点。沙都子と梨花の認識が違う。

梨花はルチーアをいいところだと思っているが、沙都子はルチーアに悪い印象を持っている。
あれは、梨花の認識が正しいとは思っている。

実のところ、沙都子と梨花の仲は別にそれほど険悪なものではなく、視聴者に見えないところでは割といちゃこらしているのではないかと。
たまに成績が悪く先生に注意されたりすると、梨花が沙都子を叱ったり、沙都子はそれで意固地になって反発し、喧嘩ぎみになることもあるけれど、べつに致命的に仲がよろしいくないことはない。
過ぎてしまえば、どれもいい思い出…

視聴者に見えない部分で、普通の生活を隠し、仲の悪い部分だけ強調しているのではないかと。そういう意地の悪い見せ方。
だから、梨花視点では、そもそも沙都子が「問題」だとはとらえられないのだ。

その延長で考える。
沙都子は梨花のイマジナリーフレンドを作り出し、梨花が生きていると思い込もうとする。だが、イマジナリーフレンドなんて特殊な環境下で出現するもので、
やはり普段は、そばに梨花がいないという現実に直面してしまう。
死んだことを認められずに、梨花の不在の矛盾を埋めるため、梨花に見捨てられたと思い込もうとする。
そのため、ルチーアでの生活を悪いものとし、自分の体験から梨花に見捨てられたような嫌な記憶を合成し、記憶を改竄している。それが沙都子視点の「ルチーア」だ

ルチーアで梨花に見捨てられたというのは、実は沙都子にとって「梨花が生きているごっこ」なわけだ。
初夏から同窓会(おそらく6月)という1か月程度の短い期間の中で、親友を失った沙都子の心の中で記憶障害という形で現れた自己防衛手段である。
時間が心の問題を解決していけば、日々の生活の中で正しい認識を取り戻すようなものなのだが

えええええええー?
辻褄は、あうのか???
いやいやいやいや

さてこまった、シャンデリアトラップ、前科、認識の違い、と根拠が3つそろってしまった。
その上否定もできない。
こういうのは、俺の趣味の話ではないのだが、根拠がそろってしまったので要検証対象としてストックしておくのが、俺ルール。

えええええ、まじかーまじかよー
いやないだろ、ええええええ
どっちかってえと、毟られ案件にいれとこうぜー

だいたいこのハナシ、梨花が昭和63年の初夏に運命的に死ぬってのがないと成立しないぜー
…、梨花が死ぬのを回避するために、雛見沢勢が立ち上がるのがキービジュアルなのか?


まあとりあえず、かいておいておく。
なんだかずいぶんいろいろかんがえてみたきがする。
もうすぐ卒の開始、面制圧のつもりで無駄にたくさん考えたんだから、少しはかすっているといいが
さすがにもう、ネタ切れデス。
ネタ切れですかな???


6月29日 追記
沙都子と梨花のルチーアについての認識の違いは
沙都子のルチーアが妄想としてしまうのが一番楽。そしてこの説は、沙都子がなぜそんな妄想を持つかを説明してしまう。
だとしたら、アリだということになるが
同窓会の梨花ちゃまが幻想とか、いやいやいや、うーんうーん。