旗本てんつくのブログ

いろいろメモ書き的ななにかです。ブログとかよくわからないので、無作法あったらすいません。

ひぐらしのなく頃に 業 考察 よもやま編2

もういっこ、思いついたネタがあるので
といっても既出の説についての与太の類だと思うので、こっちのタイトルで

あれだ、シャンデリア心中はなかった、というオハナシの補強です。
ちょっとマジでなかったのじゃないかとかんがえているんですが、
ホラ、トレンド入りとか話題だったじゃないですか。なかったっていうと、割と大勢ががっかりするのじゃなかろうかとねえ
でも、あれだ、なんでも根拠が3つくらいあれば、無視はできなかろうと

シャンデリア心中が嘘である根拠は二つ
EDが沙都子1人がシャンデリアにつぶされていることを暗示していること。
一連の沙都子の死が、これ以降すべて沙都子一人の自殺であること。
でまあ、あと一個をでっちあげてみようというオハナシ。

とはいっても、シャンデリア死にかかわる表現は極めて少なく
しょうがないので、とりあえず現場のことを考えよう。
たとえば、シャンデリア心中が実際のトコ、自殺であったら、どういう状況なのだろうかと

ごきげんよう、裏切り者の梨花。指パッチンでシャンデリアが落ちてくる。
沙都子が梨花を突き飛ばす。落ちるシャンデリア、下敷きになる沙都子。
飛び散る血しぶきと落下の衝撃で舞うほこり
しばしの沈黙。驚愕する女生徒、女生徒たちの悲鳴。
シャンデリアの下から覗いている血まみれの腕と、突き飛ばされて倒れている梨花
身を案じ、女生徒たちは叫ぶように名を呼ぶ。「梨花様!」「梨花様!」
そして、誰もシャンデリアの下の者の名を呼ぶ者はいない。

ちょっとゾクッとしますねw

アレだ
北条沙都子は変態である。
レズビアン? いや、そういうのもあるのかもしれないが、
変態と一言で言ってもその性的嗜好は多岐に及ぶ。そして、サイコキラーサイコパスは時として、特殊な変態性癖を負う

トラック死、包丁死、鉛筆死の三つ、これらは自殺である。およそ誰も反論はしないだろう。
梨花がルチーアに行くといったから、沙都子は自殺する。うん、それはいい。
だが問題は、何故いづれ梨花の目の前で自殺しているのかだ。
梨花がルチーアに行くといった、残念だ。もうダメだ鬱だ死のう、というのなら別にその場で自殺しなくてもいい。遺書で恨みつらみを書いて、梨花の見えないところで死んでもいいわけで

そうはしない理由。沙都子の目的が死ぬことではなく、梨花に自分が死ぬところを見せつけることだからだ。
梨花のわがままのせいで自分が死ぬ。それは悲惨にボロボロに
それを見た梨花はどう思うだろうか? 悔いるだろうか、悲しむだろうか、泣き叫ぶだろうか
自分の行いを顧みて、一生消えない傷を作るだろうか。
もし、梨花が自分を愛しているなら、傷はとてつもなく大きいものになるだろう
梨花は、一生その罪の重さに苦しんでくれるだろうか
ああ、愛しの梨花、今、あなたに心に特大のトラウマの刻印を刻んであげる
なんかそういうのを想像して悦に入るタイプの変態なのである。困ったものだ。
この心理はどこぞで読んだマゾヒズムの心理の変形。マゾヒズムの人曰く、自分の苦痛によって相手がどういう感情を見せるか、愉しんでいるというのである。ある種、究極のマゾヒズムといえよう
実のところ、沙都子は梨花の目の前で死ぬことで性的な快楽を得ようとするのだ。
北条沙都子は変態である。

水路での死を考えてみよう。
あれは事故である。まあそれっぽい、新聞に載るときは事故として扱われることだろう。
実際に水路は危険ではある。水深は意外と深く、水流も早い。水面の顔を出せれば呼吸もできるのだが、底はぬるぬるしてる上に、立ち上がろうとすれば水路が狭くなり、水面、水圧があがる。
それでも危険なのは、立ち上がれなければである。気絶するとか水を飲むとか、物理的に水面に顔を出す体力がないとか、死ぬ気もない中学生が落下してそうそう死ぬことはさすがにそうはない。実際に子供のころ落ちた経験があるので間違いない

要するにあれも自殺なのだ。梨花は生存しているはず。
だいたいがあのシチュエーションを考えてほしい。
梨花がルチーア行くと言った上で、梨花が行った物理的行為で沙都子に直接、危害を与えたという、劇中でも珍しいシーンである。
そんなもの「変態」沙都子が見逃すはずがないだろう
梨花のわがままと直接の行為の結果、自分が死ぬのだ。梨花のせいで自分が死ぬ。物理的に。それは間違いなく、名実ともに正しい。故に喜々として肺いっぱいに水を吸い込んだことだろう

行動原理と結果、その動機、こう考えないと、これらの沙都子の行動はすじが通らない。
故に、北条沙都子は変態である。

「それでも、アナタはしんじられますか?」
友情、絆、そんなことはどうでもいいんですわ
信じるものは、沙都子の変態性である。

衆人環視が見守るシャンデリアシーン。
これもまた、舞台装置としては最高のシチュエーションだ。
梨花の目の前で死ぬ自分の姿、それが衝撃的で無残であればあるほど、梨花へ与える心の傷は大きい。このような変態性癖をもつ沙都子が、この場を見逃すはずはないのである。
梨花が死んでしまっては、梨花に無残な自分の死にざまを見せるという嗜好は埋められない
故に、沙都子がシャンデリアの落下で死ぬ際に、梨花を巻き込むことは、絶対にないと断言できる。
故に、シャンデリア百合心中シーンはウソである。

とまあ、性癖論をもって、3つ目の根拠とさせていただこうかと考えましたw
まあ、暇つぶしの言葉遊びにすぎないのですが、
実際トコは当たらずとも遠からずだと思っておりますw