旗本てんつくのブログ

いろいろメモ書き的ななにかです。ブログとかよくわからないので、無作法あったらすいません。

ひぐらしのなく頃に 業  雑記

考察はしませんよ、今回。
考察ではないなあ。感想かといわれればそうでもない気もするが
この界隈で時折生ずる論争。
梨花が悪い、沙都子が悪い。そしてデジャブ
やれやれやれやれ

不規則性エントロピー2番の歌詞
群がる価値観に芽生えいく不信ときたもんだ。
この歌詞の意味がわかんないんだけどね。
劇中、価値観の対立はある。沙都子と梨花、圭一と詩音ちょこちょこ意見の対立シーンは描かれているのだけれど
でも「群がる価値観」なんてシーンあったかなあと。大勢が議論してああでもないこうでもない。ん-、でも外の世界にはありますよねコレ。
いやまさかね、まさか現実に起こるべき論争を想定して歌詞の中に盛り込んだとか
まあ、バカげていますけどね。

いやいやいやいやいやいやいやいや
既視感がねえなんかねえ、どこかでみたような
制作はひょっとしたら、こういう情景を再現しようとしているのではないかという妄想が

そうじゃないそうじゃない
大多数の人は、本当は真相なんてどうでもいいんで、単に誰が悪い彼が悪いと言って楽しんでいるだけだ。これは娯楽。邪魔しちゃいけないのよ
とか、自分を言い聞かせて納得させようとするも、これも既視感。
やれやれ、うぜえ。この感覚がうぜえ

どっちが悪いかとか言う話は、本当に、爪の先ほども興味がないのです。
だって、なにが起こったのかすら把握できてないんすよ。起きたことを確認するのが先で、人物の評価が必要なら、それが分かった後にすればいい。それ自体が無意味なことだと思っているけど
結果、皆様が喧々囂々やってるすみっこの方で、黙々と考察と検証を続ける日々。
いや、でも、こういうのもいつか通った道なのだなあ

意図してこういう雰囲気を誰かが作り出しているのだとしたら
そうとうに悪趣味だ


うん、祟騙しかな
虐待がない、というのが主流意見になっているようだ
そういう考え方もありだとは思いますが、えーとえーと
誰も、虐待されているのを確認していない。
村人は、圭一に乗せられ、根拠もなく無実の鉄平を追い詰めている。
そうですか、そうなんですか?

まあ、確かに、時として集団は、根拠不明の思い込みを信じてしまうこともあります。
集団心理です。恐いですねえ、はい。
そうかもしれません。だけどね、これがだね、同時に
実は誰も確認していないということを、誰も確認していないんですよね。

陳情には、100人以上の村人が参加しました。本当に、誰も確認していないのでしょうか?
圭一は確認せずに突っ走っているのかもしれません。でも、100人からの村人が、だれも事実を確認しようと思わなかったでしょうか?
公由は村長で、園崎は村の有力者です。村の出来事、仮に誰かが鉄平が沙都子を虐待している現場を目撃していたら、その話は彼らの耳に入ります。特に園崎の情報網は優秀です。
もし、そういう目撃情報があれば、公由はお魎の許可を得たなら自信を持って行動するでしょう。お魎は多少強引な手段を選ぶかもしれません。
そうかもしれません。そうでないかもしれません。
虐待があるのは誰かが確認していればあるといえます。
誰も事実を確認していないというのは、100人を超える村人全員を確認しないと言えないんですよね。
虐待を確認していないと考えている人は、なにを根拠に誰も事実を確認していないと考えているのでしょうか?

てなわけで、虐待を誰も確認していないというのが主流意見になっているのが、実は僕には不思議な気がするわけですが
ひょっとして、誰かに扇動されているんじゃないでしょうかねw

逆に、虐待の根拠、というものは実は一応あるんですよ。
沙都子が教室でパニックになって吐いたこと。また、マンガ版では体にアザがあります。
鉄平は警察が逮捕し、児相はマンガ版では沙都子を数日保護します。公共機関が虐待はあったと認めているんですな
にもかかわらず、演技である、自作自演である、とそれらは主観で否定され
虐待はなかった、ということを疑いもしません。ちょっと不思議な現象です
事実を確認することなく、根拠不明の思い込みを信じる集団心理です。

フィクションと現実が鏡合わせになったような感じ、ちょっとおもしろいですよね
こういうの、意図してやってるんだとしたらえげつないな