オトナはプリキュアになれない
というのは、前回考察で僕がさんざんぱら言ってたことですが
それは1話でキュアモ(変身アイテム)がなくなったって話から考え、りんちゃんさん同様、とりあえずオトナになったからという解しか得られなかったからで、物語上で他に意味が提示されればそんなもんあっさりのりかえます。
でも、「なくなった」というのは意味があるべきことで、2話で変身するときにもう一度手にしてるわけですが、そもそも無くなったことに意味がないなら最初から取り上げなきゃいいんです。
また、「オトナだから」という理由が正解だとしても、それは「キボウノチカラ」というお話でのことで、シリーズの中のルールに過ぎないはずなんで
それもガチガチのものでもなく、お話のかじ取りによって「大人の夢のみかた」みたいな話をするなら、今後、オトナのままプリキュアになる。みたいな振り方もできます
どういうお話に持っていくかは、ストーリー構成、製作者の聖域。
なので、オトナはプリキュアになれない。それがプリキュア。とかいうつもりはぜんぜんないのです
だって、現役プリキュアのアゲハさんがオトナでプリキュアやってますもんねえ
「プリキュアは変身すると全盛期(中学生)の姿になる」という話が、まるでプリキュア全体のルールのように言われたりして
若返ったキュアフラワー、成長するキュアマジェスティー、キュアエースが例に挙げられてたりする。
考察や想像は自由ですので、そういう説も誰も積極的に反証はしないのですが
それが界隈で事実のように語られるのは困りもの。
じゃあ、変身後も小学生のキュアミューズはどうなんだ?ってのが真っ先に挙げられるのですが、この説では、ミューズは例外のようです。なるほど
でも例外というならほかにもあります。
キュアペコリンもこどものままの変身ですし、敵の攻撃(?)で子供になったスマイルプリキュアも変身しても子供のままでしたね。
ハグっとプリキュア36話に登場したプリアラ勢は成人し社会人もいます。敵の攻撃(またか)で中学生の姿にされ驚いていますが、持参した変身アイテムで躊躇なく変身します。彼女たちにはオトナのまま変身できない理由がないんですね。
ハグっとといえば最終回では世界中の老若男女がプリキュアに変身していますし
各作品における「伝説のプリキュア」は大人の姿で描かれることは多いです。
公式から特別そういう示唆があったわけでもないですし
「プリキュアは変身の際に全盛期の姿に戻る」はいまのところ「僕の考えたプリキュアの設定」に過ぎないですよ。
それがSNS上でプリキュアの常識のように語られてしまうところが、たぶん僕としては面白くはないです。
キボウノチカラというお話は、すでに示唆されている範囲で、オトナとコドモ、夢と時間みたいなのがテーマであるっぽいですし、「オトナはプリキュアになれない」というのはその表現のために設けられた設定で、変身して子供の姿なのもそのための表現であるべきです。
オトナで変身はエロくてNHKに許されなかったと揶揄されたりもしていますが
ネタとして言ってるならいいんですが、GOGOの衣装はデザインもかっこいいし東映さんならNHKに許される範囲で普通にかっこよくオトナプリキュアをかくことも当たり前に可能です。
オトナでムチムチぱつぱつなプリキュアが見たかったという意見も判らなくはないですが「だったら自分でかけばいいじゃないか」と言える僕もズルい。
ちなみにムチムチドリームを描いているひとが、みんな5の衣装を選んでいるのが、ですよねーって感じで面白いw
前回、わざわざやらなくていいのに実証してみせたように、1話をみれば2話でキュアドリームが登場するというのはちょっと考えればわかるんですよ。
別に判らなかった人は、気づかなかっただけなので、どうということはないんですが
2話の反応をみるとなんだかみんな口をそろえて驚いているようで
同じようなことしか言わないってのは、僕にとってはすでにおもしろくない。
オトナで社会に直面して、現実で暗い話でツレーって発言もそうです
3話みてまだ言う。どこが?って感じです
かれんさんは駆け出しのお医者さんで、3話は単に仕事や患者との距離感がまだ判らなかったってハナシです。呼び出しがあるかもとお酒が飲めないってのは変な話で、そんなこと言ったらお医者さんお酒飲めなくなるじゃん
今回のお話で、そういう悩みが少し解決して、少しかれんさんが成長したので、イイハナシダナーってことで
オトナってのはそういう小さな問題を乗り越えていくもので、現実の闇でもなんでもないです
なんだか「オトナプリキュアは現実の闇と戦うつらい話に違いない」的な思い込みが先行してるようで、ちゃんとお話をみてくださいって感じです。
たまに、世間様とほんとうに同じものを見ているのか心配になります。
こまちさんについて
こまちさんは判りやすいというか判りづらいというか
「書きたいものが判らない」とかいっていますが
それは見方を変えてみればとてもわかりやすく間違っているので
書きたいものを好きに書くというのはアマチュアの特権なんすよね。じゃあなろうで書いてろって話ですw
こまちさんはすでに賞をとって、つまり実力も認められ、それで今後も小説家であり続けたいなら、売れるものを書く。書けるものを書く。というのが正解なんです。
実際に、書きたくないものでも書いていれば、表現力に厚みが生まれるでしょうし
自分が本当にかきたいものに気づけるかもしれない。でもそれはたぶん、今ではない。
もう少しプリキュアよりの穏やかな表現をするなら、自分にとっても理想的な小説、いいもの、最高のものを書かなきゃならないと思うから動けなくなるので
でも、現実はそういう理想的なものだけで作られているわけではないし、理想でないものにも目を向け、その意味や価値を見つけ、書けるものを書くんだということに気づければ、あの人も一歩踏み出せるかもしれません
でも、そのへんはたぶん、プリキュアの脚本が一番わかってますね。だってプロですもの。常に傑作を!とか思ってたら一年持たないし、作品上の制約もある。緩急つけるから傑作も生まれると。
こまちさんが「書きたいもの」にこだわっているのは、たぶんうららさんとの約束に気負いがあるからで、この二人はセットでエピソードが描かれるのかもしれません
どちらにせよ、この二人のお悩みは、表現者としてのものですので、どんなにつらい話であっても「現実の闇」とやらとはあきらかに別です。